霊的な接触や融合は、チャクラつまりフォース・センターを含めた内的なメカニズムが発達しないと可能にならない。上からの霊的な働きかけを知覚することもない。自我が聖人の本を読んで言う通りに試してみても何も分からないのは、一つにはメカニズムが未発達だからである。だからといって、メカニズムの発達が目的になることは道を大きく踏み外すことになる。
初心者の特徴を率直に書く。それは自分の解放に夢中な点にある。成長しつつあるとき、自分のことは興味の対象から外れる。それは意識において魂の方が優勢になるからであり、かつての個人的な自我とは何の関係もないことを実際に知るからである。錯覚は見られ、自己と非自己の識別はこのとき発達している。しかし、自我である自分の解放に夢中な場合、霊的な欲望が強く、しばしば知識のうえで博学であり、その博学は自分のためのものであり、かなりの確率でチャクラやクンダリーニといった肉体に近い話に熱烈な興味を抱いている。これは危険なことである。
小学生がメジャーリーガーになりたいと夢を持つことは危険ではないが、170キロ近い球を受けてみようとすることは危険である。取れないから顔面骨折か、頭部に当たれば死ぬこともあるだろう。正しい精神、準備的ないしは漸進的な成長を伴わない段階での不自然なチャクラの開花は、高位の波動の急速で分不相応な激流をもたらし、受け方を知らない人間を破滅へ追いやるだろう。人間が正しく成長したとき、それらの発達は副次的に自動的なものであり、またそれらの知識や実践的な活用方法も、自身の内部で段階的に知ることが可能になる。しかしそれらは目的ではない。
クンダリーニの火が目覚めたとき、自分には時期尚早ではないかと懸念するのは正常だが、初心者の場合、こういうことを喜んでしまう。しかも、それは低位のセンターから高位のセンターへのエネルギーの移行でしかない場合が多く、それをクンダリーニの上昇だと勘違いしているパターンがほとんどである。自分が発達しているのだと確信したい気持ちは理解できるが、正直に考えてみて、そのような段階に自身がないことを認めることは勇気がいることかもしれないが、自身をもっと大切にしてもらいたい。クンダリーニの発達よりも、愛や思いやりの精神を発達させることの方が、何百倍も重要である。これを理解したとき、霊的なメカニズムは安全にゆっくり成長するはずである。