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矢面に立つ
弟子やイニシエート方にしか見えぬ世界も含めて、現象の世界では、「←」と「→」しかない。「←」にあくまでも従い生きるならば悪魔のような存在にもなりうるし、「→」の意味と意義を理解してそれにあくまで従い生きるならば神のようになることもできる。象徴的に、現象の世界で「→」を意識的かつ意図的に扱えるようになることが人間の目標であり、実際に人間意識を超越した存在方が従っているのがこの意志と力である。ここでは、「扱う」と「従う」は同義語である。「方向づける」と「方向づけられる」は同じ意味で... -

川の流れのように
目的を持って瞑想している者は失敗する定めにある。言い換えると、瞑想で得られた力で、個人に良い効果を求めるという発想は、霊的ではなく物質的であり、そのような最初の動機に気は方向づけられるゆえ、決して調和や一致が訪れることはない。だから「瞑想に効果が見られないからやめた」と彼らは言うのである。それは、瞑想が物質的な自己を繁栄させる手段であると勘違いしたがゆえである。霊を物質に仕えさようと、神の意志ではなく、個人の意志や目的という逆の力に条件づけられていることが瞑想の失敗の原因... -

真の陶芸家
実用的な器は、満たされて初めて意味をなす。器に何を満たすのか。コップに水を、車にガソリンを、あるいは私に怒りを、人格を満たし盛りつける。こうして器は用途となる。 媒体を器と表現する場合がある。我々は器である。神学的に言えば、霊の器は魂であり、魂の器は人間である。我々器は、何でおのれを満たしているであろうか。気分や欲求だろうか。であるならば、アストラル器のエレメンタルは喜ぶであろうが、魂という器は人間という器の掌握に失敗していることを意味するだろう。 誠実な生き方、つまり奉仕... -

愛意志合う
体調が悪い人間は、体の調子を回復させようとする。なぜなら意識は苦痛だからである。超人の場合、体の調子が悪くても、自分とは関係がないという無関心が特徴である。なぜなら意識は至福だからである。超人の「聖なる無関心」は、体調不良ですら愛すべき一員の中に加えてしまう。人間は体調不良を悪しきものとみなし、それと敵対する。超人が体調不良を見るとき、その不調を治そうという意志は全くない。ラマナが言うように、個人の意志が神の意志に明け渡された後、好き嫌いを言う者は存在しないのである。体調... -

自由意志からの自由
人間は「気力」を使って生き、行為しているが、超人は、気力とは関係のない、気力の背後の力と一致しており、超人の媒体を生かし、動かし、存在させているのは、人間が知っている力の背後の普遍的な一箇の力である。たとえば、私のことを人は肉体だと思っており、これを書いている人がいると思っている。ゆえに、この著者は一人なのか、などの質問が来る。その観点に合わせて媒体は答え、一箇の肉体を通して書かれているという意味で、一人であると答えるが、実のところ、その媒体を通って動かしている力はもはや... -

愛の大航海時代
すべての病気は――事故、伝染病を引き起こす傷によるものを除いて――結局のところ、センターの状態に起因する。つまり、エネルギーの流れが乱れていたり、エネルギーが過剰に活動し不適切に方向づけられたり、エネルギーが全く欠乏していたり、エネルギーが活用されず、対応する高位のエネルギー・センターへと変性されずに残っていたりすることで起こる。 アリス・ベイリー「秘教治療上」p.291 周りの者がまた風邪で苦しみ寝込んでいる。私は、このような者たちの肉体よりも遥かに病弱であったが、もう長年、風邪を...

