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私と世界から自由な私
世界もまた一箇の想念である。全体を人は世界と呼ぶが、そのような全体を生み出したのは私である。意識は、人間の場合、その個体を自己だと想念しているため、世界という想念の次に分離した肉体的自己という想念が続くゆえ、世界の中に自分がいるという想念に生きている。この場合なにが起こるか。不確実な世界に翻弄される自己、生殺与奪の権を世界が握っていることによる恐れと共につねに生きることが起こる。人は気づかずとも、つねに何かを恐れ、何かに身構えている。これを直覚するならば、このような恐れは... -

瞑想は極楽の湯
誤って十分に暖められていない風呂に入ったとしよう。冷たいと人は感じるだろう。仮に20℃だったとして、明確に冷たく感じられる水を温めるためには、20℃よりも高い湯を注ぐ必要がある。20℃に20℃を入れても20℃だからである。瞑想も同じこと。自我の性質に自我であれこれかき混ぜても、永遠に自我である。八正道のような宗教が教える訓戒は、自我への教えである。つまりメンタル的に善悪を教える試みである。では、悪に傾いている人間を善に変えるのは何か。その悪より高い波動であり、それが器に注がれた結果である... -

恵まれた道
人類の教師たちは、芽を出しかけたイニシエートに識別を実践するよう指導し、次のものを識別するという困難な課題を与えて訓練する。 本能と直観 高位マインドと低位マインド 欲求と霊的衝動 利己的な熱誠と神聖な動機 月の主方から放射される衝動と太陽の主方の展開 ジュワル・クール「ホワイト・マジック下」p.306 本能と直観 ここで言う人間の本能は、純粋に動物的な本能のことではなく、条件づけられた人間の存在状態を指している。人間体を動かす力や衝動が神聖で霊的なものではなく、アストラル体やメンタル... -

何がマインドを超越させるか
瞑想する人の多くが、想念が想念であることには気づいていない。想念の中身を想念と呼んでおり、想念という単語自体が概念であり、想念でしかないことには気づかない。つまり、想念を物質や形態として扱っていない。 もっと分かりやすく言うべきか。「想念を統御しよう」と我々は言う。それは「Aを統御しよう」と言うのと同じであり、Aは想念である。Aの内容物ではなく、Aがそもそも思想である。これは理解が難しい可能性がある。 弟子が働きかけるのは、想念の内容物ではなく、想念自体である。それはメンタル・... -

太陽ニ殺サレタ
注意深く生きている限り、注意深い意識を保持している限り、人間にはほとんど全ての問題に対処しうる能力がもともと備わっていることを発見するであろう。たとえば、私のかかりつけの医師は、神の意志である。生命エネルギーという意志である。このエネルギーを用いて、思うがまま、とはいえ神の法則に準じたまま、私は(つまり意志は)、あらゆる表層的な現象や事象の背後の原因に働きかけることで、外的に結実した問題をその内側から統御している。 病気に対する人間の反応は、病気が引き起こす苦痛を緩和しよう... -

神の血行
神の第一様相である生命や意志の人体における主な象徴として、血液が挙げられる。血液がより純粋で、乱れなく、滞りなく、あらかじめ設計されているよう円滑に循環できるようにしておくのが肉体の健康における基本である。一昨日、昔から知っている者が、もう中年太りで、前は足が速かったが走れもせず、歩くのも膝が痛い、動くとすぐに息が切れる、疲れやすい、もはやいつ死んでもおかしくないと自嘲ぎみに語っていた。身体は硬く、ほとんど前屈もできない。その者の奥さんが、もっと肉体を大切にしてほしいと切...

