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前の記事を読んだ人が、なぜ十が完成を意味するのかと言った。説明もなく十が完成と言われても困ると。だから逆に、あなたの完成度はいま何割くらいかと聞いたら、よくても一割か二割かもしれないと答えた。このように、無意識に十を普通の人たちもまた完成の象徴として捉え、多くの場面で十割や十点満点という考え方が採用されている。この世の測り方は一から十までしかない。十一から二十もまた、新たな周期の一から十でしかない。このような一から十を十回くりかえすと百だが、それは依然として十である。この... -

大和
「現世安穏」はイニシエートの特徴である。「金剛不壊」もまた熟練の弟子の特徴である。それがなぜかをここに発表したい。それは、イニシエートが常に対象に気づいているからである。この文章だけで、それがどれだけ途方もない価値を秘めているかを誰かがやがて理解するであろう。 観照者とは、常に観照されるもの、あるいは知覚されるものに気づいており、気づいていることで対象を意識内にて無効化している。前の記事で聖徳太子に触れたが、説明が不十分であると指摘されたから、その者の逸話について話すならば... -

大日如来
誰にでも明らかなことは、世界を「見ている者」がいるということである。意識が見ているのだろうか。マインドと脳が見ているのだろうか。そのような側面が静まり返ったときもなお存在する純粋な主観のことであろうか。我々は夢を見ているとき、そして起きているとき、常に外に何かを対象化して見ている。つまり見ている者がいる。それを普通の人間は安易に私と呼ぶ。それが安易すぎるゆえ、ラマナは「その私とは誰か」と踏み込ませようとした。この「見ている者」自体に意識を反転し、多様な万象という客観から反... -

螺旋の中心、台風の目
いま苦しんでいる人間をどう助けうるか。誰が助けうるか。言葉や文章による知的理解は正しい方向性に導こうとはするが、頭の理解は我々の苦しみに対して無力である。いくら愛を語っても、愛の概念は、苦しむ者にとっては何の意味もないだろう。簡潔に言うと、苦しむ人間は、自分をその個人だと思っているために苦しみを味わっているにすぎない。我々は、苦しむ個人でも人間でもない。これは頭では分からない。個人(つまり私)という想像力の虚像が希薄化されたとき、個人の背後の魂が理解され始めるであろう。彼... -

無限力
無気力とは何なのか。気力が無いことならば、その気力とは何か、そして何ゆえに気力が無くなるのか、を人は知らねばならない。 本来、気力や無気力の背後に、無限力が存在しており、神と一致した者とはこの無限力に生かされている者である。ところが、人間には内在のダムがある。精神というダムである。この精神が無限力を堰き止め、センターの流れを阻害し、精神が元気であるならば、自身で扱える範囲内だけ無限力を受け入れ、気力に変換して活用するが、世の中で傷ついたり精神的に弱まったりすると、精神という... -

真の反面教師
ある人に嫌なことをされて、この数日、怒りと苦しみに苛まれています。 嫌なことをされたということは、あなたが以前に嫌なことをしたということだ。そして、あなたはまだ腹を立てている。相手を許せない精神とは、相手に仕返しをしてやりたいという精神である。そのような「嫌な部分」が自身の内部に存在しているという事実から取り組み始めるべきであろう。自分の嫌な性質は棚に上げて、他人の嫌な部分ばかりに焦点を当てるならば、霊的な道から外れており、それをこの世では外道と呼んでいる。 具体的にどう取...

