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自我ファースト
昨日の記事で、少数野党の大同団結といった話に触れたが、そのような発想は「幼稚で非現実的」だという趣旨の反論を受けたため共に考えていきたい。 まず、大同団結できない主要な理由は、理念の差異なのだろうか。たとえば反グローバリズムならば、現在「新保守系」と括られるほとんどの政党は合流できる。問題は理念の差異ではなく、理念を自我が所有していることにあるのではなかろうか。一つの純粋なアイディアが個人のマインドを通過したとき、その個人によって独自の意見や主張や見解といったものに変換され... -

異端の信者
前の記事が書かれた数時間後に肉体に起きた話のせいで、肉体は悪い状態にあり、肉体に焦点化したときはその悲鳴と苦痛を感じることになるが、そのような容態のときでさえ、書いたり話したりできるどころか至福そのものでありうるのは、真我が、書いている肉体人間とは無関係だからである。もし、私が己を肉体人間と思うならば、こうして書くことも含め、あらゆる行為を自分がしているという感覚を持つがゆえ、かなりの精神力や根性といったものが必要とされるだろう。しかし、ラマナ・マハルシの比喩で言えば、目... -

真の移民
「移民問題についてどう思うか」と問われた。そもそも視点が違う。逆に問うが、それは「問題」なのだろうか。誰にとって、どのような部分が問題なのだろうか。それは見ている世界、生きている世界を間違っているから巻き込まれる類いの問題ではなかろうか。私もあなたも日本国籍をこの世で持つかもしれないが、だからといって生命は日本人ではない。私もあなたも肉体の世話をしているかもしれないが、だからといって生命は肉体でもなければ人間でもない。現在まだ一部の国で推奨されているような移民政策は、いつ... -

正座
どう生きたらいいか分からない。人生の悩ましさにどう対処すべきか分からない。そのように感じさせられている自我意識に対して最近の記事は答えてきたが、「私たちは僅かばかりの楽しみがあるから生きていられるのです。奉仕できるから生きていられるという感覚は存在しないのです。仕事終わりの楽しみや週末の娯楽、個人的な希望があるから生きていられるというのが通常の人間の実態つまり事実であって、奉仕できるから生きていられるという教えは参考になるような実践的なものではありません」という趣旨の反論... -

従うべき道筋
「してやる」という錯覚について。たとえば主婦は、料理を作ってやってる、掃除をしてやってる、などと言い、旦那は旦那で自分が養ってやっている、などの感覚を持つ。これらが奉仕ではないことは明らかである。なぜなら無私ではないからだ。見返りを求めている。「してやっているのに」という不平がある。真の奉仕の場合、結果に対する執着も、結果を出したことによる報酬の要求もない。このような問題の本質は、一体性を知らぬという、その一点である。したがって、一体性の境地からでなければ純粋な奉仕は厳密... -

奉仕できるから生きていられる
人間を含めて生物とは、すべて、奉仕するから生きていられるのである。「奉仕するために生きる」ではなく、「奉仕できるから生きていられる」という、この意味の違いを識別すべきである。人間に限らず生命自体を我々が知るとき、生命エネルギーというものが、例外なく、善や正しさと呼ばれるものへ究極的には向かっており、奉仕が「生きがい」であり、奉仕だけが表現体を生かしておける理由であることを悟ることになる。 奉仕とは、一体性が前提にあって初めて可能となるものであり、それは多様な顕現の世界にあっ...

