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「相反する対をなすもの」の解説
二重性を通しての魂の統一というパラドクスを理解するのが困難な理由は、相反する対をなすものについて語るときに、アストラル的な二重性、そしてそれらの間の狭き道を人類が選択することが必要であるということが、長きにわたって強調されてきたためである。二重性という戦場に立ち、自らの前に開ける剃刀の刃のように細い道を見出し、イニシエーションの門へと辿り着かねばならない。しかし、本質的には、これらの相反する対をなすものは高位の聖なる対応物の反映でしかない。ここで考察している法則は、生命と... -

人嫌い
「瞑想を始めてから人嫌いになり、人と関わるのが億劫になりました」と言われる。こういう話は幾度となく聞いてきた。変わりゆく自分を恐れてはならない。注意すべきは、バランス感覚を保ち、あまり閉じこもらず、なるだけ心を開いておくことである。精神的な引きこもりの問題は、心を閉じることで、文字通りエネルギーの健全な循環と流出ができなくなり、流入したエネルギーが出口をなくして内部で腐敗し、その者に破壊的な作用を及ぼすことである。日常生活で創造的ないし奉仕的であるならば問題はないが、恐れ... -

100%無力
霊的に生きていない精神の顕著な特徴として、虚無感が挙げられる。何をやっても結局は虚しい。満たされるためには常に他の何かを必要とするからである。誰かに褒められたり、注目をあびたり、あるいは何かを達成したり、手に入れたり、そしてそれらが途切れると、途端に虚しくなる。学習が進むにつれ、それらで満たしたあとにすら、虚しさを覚えるようになるであろう。霊的なもの、つまり実在ではないもので決して人間は満たされない。充足は、非実在による場合は錯覚ゆえ虚無に行き着き、それまでの徒労に疲労と... -

私と世界から自由な私
世界もまた一箇の想念である。全体を人は世界と呼ぶが、そのような全体を生み出したのは私である。意識は、人間の場合、その個体を自己だと想念しているため、世界という想念の次に分離した肉体的自己という想念が続くゆえ、世界の中に自分がいるという想念に生きている。この場合なにが起こるか。不確実な世界に翻弄される自己、生殺与奪の権を世界が握っていることによる恐れと共につねに生きることが起こる。人は気づかずとも、つねに何かを恐れ、何かに身構えている。これを直覚するならば、このような恐れは... -

瞑想は極楽の湯
誤って十分に暖められていない風呂に入ったとしよう。冷たいと人は感じるだろう。仮に20℃だったとして、明確に冷たく感じられる水を温めるためには、20℃よりも高い湯を注ぐ必要がある。20℃に20℃を入れても20℃だからである。瞑想も同じこと。自我の性質に自我であれこれかき混ぜても、永遠に自我である。八正道のような宗教が教える訓戒は、自我への教えである。つまりメンタル的に善悪を教える試みである。では、悪に傾いている人間を善に変えるのは何か。その悪より高い波動であり、それが器に注がれた結果である... -

恵まれた道
人類の教師たちは、芽を出しかけたイニシエートに識別を実践するよう指導し、次のものを識別するという困難な課題を与えて訓練する。 本能と直観 高位マインドと低位マインド 欲求と霊的衝動 利己的な熱誠と神聖な動機 月の主方から放射される衝動と太陽の主方の展開 ジュワル・クール「ホワイト・マジック下」p.306 本能と直観 ここで言う人間の本能は、純粋に動物的な本能のことではなく、条件づけられた人間の存在状態を指している。人間体を動かす力や衝動が神聖で霊的なものではなく、アストラル体やメンタル...

