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魂の意味の確認について
魂とはサットチットアーナンダのチットまたは観照者、背後で気づいている者のことを仰っているのかと思うのですが、相違ないでしょうか? 「サット・チット・アーナンダ」は存在の三様相を示すための分類ではない。それはある段階のイニシエート意識を説明するときのものである。対して、「霊(spirit)・魂(soul)・肉体(body)」は、ジュワル・クールもしくは初期の神智学の教師であるブラヴァツキーが西洋向けに教えを提示する際にキリスト教との整合性あるいは可読性を確保するために便宜的に用いた存在の三... -

非精神化
「今日も会社に行くのが億劫だ」は、精神で生きているときに生じる感覚的幻想である。我々の問題は、必ずしも精神で生きなければならないわけではないことを知らないことである。精神で生きることがあたかも前提であるという考えの癖は、思い込みでしかない。我々は、精神を伴わずに仕事に行くことが可能である。「会社に行くのが億劫」という感覚的想念は、想念である以上、過去の記憶に根ざしたその未来への投影がもたらすものであり、ただの精神の動きに他ならない。精神は時間に生きており、時間を作り出して... -

学びと愛は万人のもの
「私は互いに対立する勢力の中間に立っている。私は調和と平和を切望し、統一から生じる美を熱望している。私は二つのものを見る。私には、相対立する勢力と、中心にある円の中に立つ私である唯一なる者以外には何も見えない。私は平和を要求する。私のマインドはそれに夢中である。すべてのものと一つになるよう私は努めているが、形態は分割する。至るところに戦争と分離が見える。私は一人で立っており、一人である。私は知りすぎている」 言葉が魂から形態へと発せられる。「両勢力は一つである。戦争、相違、... -

自我ファースト
昨日の記事で、少数野党の大同団結といった話に触れたが、そのような発想は「幼稚で非現実的」だという趣旨の反論を受けたため共に考えていきたい。 まず、大同団結できない主要な理由は、理念の差異なのだろうか。たとえば反グローバリズムならば、現在「新保守系」と括られるほとんどの政党は合流できる。問題は理念の差異ではなく、理念を自我が所有していることにあるのではなかろうか。一つの純粋なアイディアが個人のマインドを通過したとき、その個人によって独自の意見や主張や見解といったものに変換され... -

異端の信者
前の記事が書かれた数時間後に肉体に起きた話のせいで、肉体は悪い状態にあり、肉体に焦点化したときはその悲鳴と苦痛を感じることになるが、そのような容態のときでさえ、書いたり話したりできるどころか至福そのものでありうるのは、真我が、書いている肉体人間とは無関係だからである。もし、私が己を肉体人間と思うならば、こうして書くことも含め、あらゆる行為を自分がしているという感覚を持つがゆえ、かなりの精神力や根性といったものが必要とされるだろう。しかし、ラマナ・マハルシの比喩で言えば、目... -

真の移民
「移民問題についてどう思うか」と問われた。そもそも視点が違う。逆に問うが、それは「問題」なのだろうか。誰にとって、どのような部分が問題なのだろうか。それは見ている世界、生きている世界を間違っているから巻き込まれる類いの問題ではなかろうか。私もあなたも日本国籍をこの世で持つかもしれないが、だからといって生命は日本人ではない。私もあなたも肉体の世話をしているかもしれないが、だからといって生命は肉体でもなければ人間でもない。現在まだ一部の国で推奨されているような移民政策は、いつ...

