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今すぐ努力不要
今日、多くの教えが努力を強要するか、それを大前提だとみなしている。これは個人を自分だと思っている意識への低い教えである。だからといって軽視しているわけではない。その闇夜の時期は、肉体を自身と感じるため、努力や忍耐によって、精一杯の力でくぐり抜ける必要があるだろう。しかし、いつ闇夜の終わりが訪れるかは誰にも分からない。私は暗黒と絶望の真っ只中に、魂つまり真の自己を発見した。突然にである。真の我々は魂であり、その観点からすれば、すべては安全であり、個人に起こることは無関係にし... -

魂に疲労なし
疲労するとは、法則に沿った在り方から逸脱したということである。瞑想もしくは魂に習熟するようになるにつれ、あまたの発見があったものの、人間は元来、疲労しない生き物であるという発見はその中でも興味深いものであった。というのも、私は疲れやすかったからである。なぜ疲れるのか。なぜ疲れがやがて病気につながるのか。この理解のために、そして霊的な在り方を学ぶために、疲弊しやすい肉体や精神、そして第四光線のパーソナリティーで学ばねばならなかったことを理解した。法則と合致した在り方・生き方... -

人嫌い
「瞑想を始めてから人嫌いになり、人と関わるのが億劫になりました」と言われる。こういう話は幾度となく聞いてきた。変わりゆく自分を恐れてはならない。注意すべきは、バランス感覚を保ち、あまり閉じこもらず、なるだけ心を開いておくことである。精神的な引きこもりの問題は、心を閉じることで、文字通りエネルギーの健全な循環と流出ができなくなり、流入したエネルギーが出口をなくして内部で腐敗し、その者に破壊的な作用を及ぼすことである。日常生活で創造的ないし奉仕的であるならば問題はないが、恐れ... -

100%無力
霊的に生きていない精神の顕著な特徴として、虚無感が挙げられる。何をやっても結局は虚しい。満たされるためには常に他の何かを必要とするからである。誰かに褒められたり、注目をあびたり、あるいは何かを達成したり、手に入れたり、そしてそれらが途切れると、途端に虚しくなる。学習が進むにつれ、それらで満たしたあとにすら、虚しさを覚えるようになるであろう。霊的なもの、つまり実在ではないもので決して人間は満たされない。充足は、非実在による場合は錯覚ゆえ虚無に行き着き、それまでの徒労に疲労と... -

私と世界から自由な私
世界もまた一箇の想念である。全体を人は世界と呼ぶが、そのような全体を生み出したのは私である。意識は、人間の場合、その個体を自己だと想念しているため、世界という想念の次に分離した肉体的自己という想念が続くゆえ、世界の中に自分がいるという想念に生きている。この場合なにが起こるか。不確実な世界に翻弄される自己、生殺与奪の権を世界が握っていることによる恐れと共につねに生きることが起こる。人は気づかずとも、つねに何かを恐れ、何かに身構えている。これを直覚するならば、このような恐れは... -

瞑想は極楽の湯
誤って十分に暖められていない風呂に入ったとしよう。冷たいと人は感じるだろう。仮に20℃だったとして、明確に冷たく感じられる水を温めるためには、20℃よりも高い湯を注ぐ必要がある。20℃に20℃を入れても20℃だからである。瞑想も同じこと。自我の性質に自我であれこれかき混ぜても、永遠に自我である。八正道のような宗教が教える訓戒は、自我への教えである。つまりメンタル的に善悪を教える試みである。では、悪に傾いている人間を善に変えるのは何か。その悪より高い波動であり、それが器に注がれた結果である...

