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あらゆるものなしに私は存在する
あらゆるものと関係がないとは、あらゆるものなしに私は存在するという意味である。自我は、あらゆるものを通して経験を積み、経験から間違いや正しさの意味を知り、それらの概念という想念を通して正しい波長、本来の自然な波長に意識を一致させるようになり、そこで想念から自由になり、あらゆるものは想念であり、そのあらゆるものと私は関係なく存在しており、あらゆるものを私は必要とせずに存在しており、自身がすでにして完全であり、実現されている真我であることを知る。こうして、存在すると思われてき... -
謙虚さ
呼吸困難に陥った人は苦しみもがく。ここで彼を元の状態に戻してやれるならどうだろうか。必死で空気を吸い込み、そして吐く。まさに息ができるということに、彼は強烈に感謝するだろう。しかし、彼は生まれてこの方、息や呼吸を当たり前だとみなしてきた。吸っては吐くという命の恵みに生かされながら、それを忘れ、呼吸を当然のものとし、いわば傲慢に陥っていたことに気がつく。神秘な生命の力が、自然な呼吸を与え、われわれを生かしてくれていたことを思い起こす。彼の力なくして、われわれは息すらできない... -
不良と更生
高校生のいとこが不登校になったあげく、親に手を出すほど不良になったという。不良とは、良くないと書く。これまで、医者にならせるべく必死に子供を育ててきた親が、まさか殴られ血を流し、大声で殺すぞと言われようとは思いもしなかったという。もはや親と子という関係に戻ることすらできない。わが子がどうなるのか、そして私の人生はこれからどうなるのかと、母親は現実におびえ慄いている。 良くないことを子に押しつけてきた結果であることを親は認識しうるだろうか。この成績では医学部に受かりそうにない... -
法学
法を守りつつ裁かれる者はいない。法に生きていながら、同時に罪を犯した者はおらず、よって罰せられた者もいない。真理の領域に冤罪はなく、天網は愛として無限にゆきわたり、現象の世界で起こる出来事にはいかなる偶然もありはしない。かつての行為の種を、われわれの名や形は刈り取るが、それに対しては法則内から、つまり法を破ることなく対処することで、さらなるカルマが生み出されることはなくなる。これを知ることが解脱である。というのも、真の瞑想において、われわれは完全に法則に入り、自我や感覚知... -
舞台から降りる知恵
苦痛を見ようとしていますが、あなたが言うようなことは私には起きません。むしろ、より苦しくなると感じました。苦痛の感覚は何かの間違いだとあなたは言いますが、私にはその意味が分からず苦しいままです。 咲き誇る花を見て「美しい」と人は言う。そのとき人は、努力なしに花を見たはずである。しかし、あなたは見るために努力している。視覚は努力ではない。 苦痛を見ようとすることがすでに努力になるなら、何も私にはできないことになりませんか。 あなたが苦痛なのである。あなたと苦痛は同じであり、この... -
常識をくつがえす
道の途中まで、「常識」が逸脱を防ぐ支えになる。その後、常識を疑うことが真理の開拓者の握る斧になる。そして、最後に真理じたいが常識を消散する。常識とは、マインドの常識であり、それが超越される頃にはただの錯覚である。 病院に行くと、たいがいは症状を病名に当てはめさせられる。しかし、瞑想で眉間に行くと、症状は存在していないことが光の中で明らかになる。前者は薬を飲んだり入院したりすることで治療を目指すが、後者は真理を照らし出す目によって即時に偽りを破壊する。空が曇っていようが、眉間...