トンネル

地元でしくじり、追われるはめになった。くそいまいましい。積み上げてきたもの、全部捨てて逃げるよりほかになくなった。死ぬ気はない。隠れる場所を探したい。隠れつつ、”隠れた場所”や”隠れること”が仕事になり、少年院時代の集団寮のようなものでよいから棲家付きで、飯を食って生きていけるなどという、都合の良い場所はないものか。外国人向けの人材派遣で一山当てた男の顔を思い出した。この男はおれに借りがある。連絡してみると、いくらでもそんな仕事はあるという。手っ取り早いものを一つ紹介してくれと頼むと、かなり遠い県にはなるが、トンネル堀りの仕事はどうかと言ってきた。遠ければ遠いほど好都合だった。学歴不問、未経験OK、資格取得支援、寮・社宅あり、月給60万、急募。夢のような仕事に思えた。

これを書いているのは、ここから先に遭遇した出鱈目や、おのれの苦労話をするためではない。この仕事、この場所には笑えない背景の持ち主がおれだけでなく、いくらでもいた。はやい話、糞野郎だらけだった。現場の監督が輪をかけた糞野郎で、なおかつおれたちのような小悪人どもを統括する能力を兼ね備えていた。この男はどうでもいい。おれは基本的に誰も信じないし誰とも付き合わなかった。ここでも何かあれば殺してまた逃げようと軽く考えていた。そういう態度、怖いものを知らないある種の不気味さが、周囲には異様に感じられ、あちらからも下手に関わろうとしてこなかった。

一人だけ、気軽に話しかけてくる者がいた。こいつはおれより何年もあとに入ってきたが、素性は知らない。話しかけられると、おれは反射的に威嚇するのが癖になっていたが、この男に対してはそのような気持ちにならなかった。ひじょうに美しい青年で、礼儀正しく、控えめだが不思議に明るい性格の持ち主だった。なにがそんなに嬉しいのか分からないのだが、絶えず満ち足りており、秘められた自分だけの世界を内に備えており、生きることを喜んでいた。この男に関しては、全ての従業員が驚かないではいなかった。なにしろ、ずっと仕事をしている。寝ない、食べない、疲れない。ずっとトンネルを掘っている。まあ、おれたちはお天道さまの下では何もできはしないが、トンネルを掘ることに関しては慣れたもんでプロだ。しかし、この男の仕事を見ると、俺たちはみんな素人になる。この男の仕事は完璧だった。むしろ、完璧という言葉の意味を彼を通じておれたちは知った。失敗や間違いや事故はこの仕事につきものだが、すべての尻拭いを彼は一人でした。首が飛ぶようなことをおれがやらかしたときも、この男が誰にもばれないように急いで手を貸してくれた。というより、彼がそれをするのをおれは見ていた。

天才だと思った。寸分の違いもなく、絶対に間違わず、何にも誰にも不平不満を言わず、黙々と完璧にこの男は仕事をこなす。仕事量だけではない。スピードが違う。活力も違う。彼にはいかなるコンピューターも必要なく、すべての設計図が完全に彼にインプットされている。おれたちは生き証人だから語れるが、この男は眠らない。倒れるから食べてくれと監督が勧めると一応食べはするが、気づいたらもう仕事を再開している。疲れる素振りがない。みな驚いたし、感心したし、恐れ入った。おまけにとんだ人格者ときたものだから、誰かが神様のようだと言ったときから、冗談半分で、彼のあだ名は神になった。

困ったのは監督で、頼むから休んでくれ、食べてくれといつも頼んでいた。終いには、死なれては困るということで、社長まで来た。この男の友人とみなされ、おれは説得のさいに同席させられたことがある。お前からも頼んでくれと言われた。なにしろ、このトンネルを掘り終えるのにはあと何年もかかる。文字通り百人力の従順な男は貴重であり会社の宝にさえなっていた。彼は、大丈夫ですよと言う。掘り続けること、仕事をやり続けることが生き甲斐なのだと言う。やがて、誰もこの男を止めなくなった。止められないのである。そして、誰もがこの男の言うことを信用し、この男のやることを信頼するようになった。おれたちのぶんまで彼は仕事をした。かえって、おれたちのやることが邪魔や迷惑に思えてきて、鬼のような監督ですら省察的な律義者になり、監督の立場を彼に明け渡し、みなで彼に習うようになった。じっさい、おれたちは何もしなくなった。彼だけが仕事をできることを理解したのである。彼の言うことであれば何であれ真剣に聞き、彼のすることであれば何であれ真剣に眺めた。それは素晴らしい仕事だった。仕事ぶりで人を感動させられるさまをおれたちは生まれて初めて見た。

ここには筋金入りの暴れ者、ネジが飛んだ者、世にいうお尋ね者がいくらでもいた。この全員が、彼の前で、彼によって更生し、改心した。彼による本物の仕事を見ることで、生きることが素晴らしいのだということ、生きることが戦いや罰ではないということを教えてもらった。彼の仕事を見ながら、体の大きな荒くれ者たちが本気で泣くのである。この神と呼ばれた男は、本当におれたちのなかで神になった。救い主になった。誰も冗談で人生を生きなくなった。いつ死んでもいいような生き方をしなくなった。不思議でたまらないのだが、正しく生きたいと彼の仕事は思わせるのである。なんでも助け合いたい、苦楽も幸不幸も、なんでもともに分かち合いたい、みんなで一緒にこの仕事を成し遂げたいと思わせるのである。一人も欠けることなく、みなでトンネルを抜けて、ともに光を見たいと思わせるのである。あれほど辛くて仕方なかった仕事が、彼の不意の到来によって、こんなにも美しく喜ばしく素晴らしいものになることなど、誰も想像すらしなかった。人生捨てたものではないという芝居じみたセリフをいわざるをえない自分におれたちは驚いている。それだけのためにおれは書いた。いくらでもこの続きを書くことができるが、すでに長いだろう。最後に言っておくが、この話は嘘じゃないぜ。彼は実在する。

目次