ペットの高級料理

見知らぬ犬がうろついている。このままでは車に轢かれてしまうだろう。飼い主からはぐれて迷子になったのだろうか。それとも捨てられたのだろうか。近づいてゆき、なでると喜び安心したが、すぐに挙動不審なばかり落ち着きがなくなる。やはり飼い主を探しているのだろうか。ここで、犬が足を怪我していることが分かった。軽傷だが血が出ている。この町に動物病院はない。仕方がないから家に連れてゆき手当をした。それから水を飲ませ、腹を満たしてやるため、自分の晩飯にと思って作っていたハンバーグを食べさせた。すると、しばらくして、犬がおかしくなった。立とうとしても立てなくなり、足をすべらせて転び、起き上がれなくなり、小便をもらし、明らかに何らかの機能障害に陥っている。私は焦った。どうしようか。そういえば、主に牛を扱う獣医が近所にいはする。ひどく変わり者の老人で、全く知り合いではないが連絡するよりほかになかった。

この老人は意外にも即座に駆けつけてくれた。「いったい何を食べさせたんだ」と怒鳴られた。ハンバーグです。玉ねぎを入れたかと聞かれた。はいと答える。それだと言う。玉ねぎで貧血を起こしたのだと言う。命に別状はない。しかし良い餌と悪い餌の知識くらいは持ってもらいたいと言われた。そこから、この老人との付き合いが始まった。何が犬にとって良い食べ物で、何が悪く作用させる食べ物か、彼の知識を吸収した。飼い主はついぞ見つからなかった。可哀想だから自分で育てるしかなかった。それで事あるごとにこの老いた獣医の世話になり、そのうち親しくなった。私が犬を大切に育てていることを認めてくれたのである。

この老人を好きな者は町にはたぶんいない。誰からも嫌われている。私もこの町の出身ではないので、なぜなのかは知らない。付き合ってみると、悪い人間ではないが、たしかに変わっている。とにかく、良い餌と悪い餌にうるさい。それは、動物だけでなく、人間においても同じだと彼は言うのである。つまるところ、この老人が言うには、人間は三つの体を「飼っている」。肉体とアストラル体とメンタル体である。どこかで聞いたような話ではないか。これら三つの動物に、良い餌を与えない者ばかりだと彼は言うのである。それどころか、三つの体が要求するものを、人はただ盲目に求め、そしてその餌を獲得し献上に追われる日々であり、飼っているはずの人間が、ペットである体に仕えている主従逆転の状態だと言うのである。私にはどうでもいい話だった。そんな話より、犬に対する新たな知識を求めたかった。しかし彼は言う。お前は、お前という三つのペットを飼っているのだと。

ある時、食事に呼ばれて夜分に彼を訪ねると、いきなり高級料理とは何だと思うかと聞かれた。それで、都会にいた頃に高くて手の届かなかった美味しそうなものをいくつか挙げたら怒られた。それらは低級料理だと言って怒られた。そして、畳の上に座れと言われた。いちいち迫力があり、しかも面倒くさいため、言われる通り、畳に座った。すると老人も隣に座り、目をつむった。君も目をつむれと言う。座禅でもするのですかと聞くと、違うといって怒鳴られた。これが高級料理だと言われた。全く意味も分からぬまま、三十分ほど目をつむっていた。そして、食べたなら帰れと言われた。

次の日も食事に呼ばれたが、共に座って目をつむり、これが高級な食事だと言われただけだった。これが真にお前という三位一体に与えうる最高の餌だと彼は言うのである。当然ながら、意味が分からない。しかしそれから毎日、食事に呼ばれるようになってしまった。私は孤独だったため、夜に出かけるのは構わないのだが、彼の高級料理を食べさせられるのは嫌だった。だから、この瞑想か座禅か高級料理に、いったい何の意味があるのかと聞いてみた。

「お前は犬に良い餌を与えることを学んだ。しかし、お前はお前自身という三体のペットに良い餌を与えていない。犬にとって何が良い餌で何が悪い餌かは理解したが、お前自身にとって何が良い餌で何が悪い餌かは理解していない。これを理解してもらいたいんだ。お前は自身という三体の動物の飼い主なのだ。大切に育ててほしい。そのために、良い餌だけを与えてやってほしい。どうか、悪い餌で自分をいじめないでやってほしい」

老人があまりにも真剣に言うため、真剣に聞きたいと思ったが、やっぱり意味が分からない。しかし、彼が可哀想だという気持ちもあって、彼の高級料理を食べに、この数年間、毎晩彼と食事をしている。そして、この数年で変化したことがある。ほとんど信じがたい話なのだが、私の肉体は食事を必要としなくなった。ついでに、睡眠もほとんど必要なくなった。会社ではそれまで無能とみなされていたが、強烈に有能な人物として誰からも一目置かれるようになった。なぜかは分からないが、何もかも簡単になったのである。ちなみに、ペットの犬は最初の事件以降、病気一つなく元気いっぱいである。老人は、会社のための仕事など辞めてしまえと言うが、責任があるので続けている。そして、昔は楽しみといえばいくつか娯楽があったが、それらは私にとって低級料理になった。老人の家だけでなく、どこでも暇があれば目をつむり、彼の言う「普遍的な高級料理」を、自身という三体のペットに食べさせることが習慣になった。私は、かつて体に仕えており、体が欲するものを求めてきたが、今は良い餌を、かつて自分であった三体に与え、彼らを正しくしつけ、より良く育ってもらうことが楽しみになったのである。ここまで書いて気づいたことがある。これは変な話である。

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