ヴィチャーラ

ヴィチャーラ(Vichara)とは、サンスクリット語で「探求」「熟考」「省察」を意味し、ラマナ・マハルシの教えでは特にアートマ・ヴィチャーラ、すなわち「真我探求」を指す。

マハルシによれば、この探求の核心は、「私は誰か?(Who am I?)」という問いを、想念がわきおこるたびに問うことであり、それによって誤った自己同一視を取り除き、純粋な自己意識に到達することを目的とする。

ヴィチャーラは思考の分析ではなく、思考が生じる源へ意識を向けることである。通常、人は肉体、心(マインド)、感情を「私」と認識するが、これらは変化し続ける現象であり、真の自己ではない。ラマナ・マハルシは、思考が湧くたびに「この思考を抱いているのは誰か?」と問うことで、思考の発生源を追求し、それが「私」という意識に帰着することを示した。この「私」の意識を深めゆくことで、最終的に個我は消滅し、純粋な自己の意識が顕現する。

この探求は、集中や対象を必要とする瞑想の技術ではなく、常に「私」という意識を内側に向ける態度そのものである。ヴィチャーラの実践により、真我(Self)としての純粋な存在が直接的に体験され、解放(モクシャ)に至る。ラマナ・マハルシは、ヴィチャーラこそが最も直接的で効果的な解脱の道であると説いた。

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