生活習慣病の結果、心臓や脳の病気になったり、癌を患うことになったのだと医者は言います。つまり、健康になりたかったら生活習慣を改めなさいと言うのです。なんとも乱暴で半端な教えではないでしょうか。なぜなら、私たちが悪い生活習慣へと強いられねばならない原因について、彼らは何も知らないからです。原因は知らず、結果を変えなさいと教えているのです。こうして人々は努力や改善という抵抗に苦しみます。先生と呼ばれている人たちは、おそらく無理だと知りつつ生活習慣を正せと薬を処方しながら指導し不誠実にお金を受け取るのではなく、何が、良からぬ生活習慣へと導いているのかを見るのが先であることを教えてください。そして、自身が、自身を動かしているフォースを統御できて初めて、先生になりうるのだということを認めて名医になってください。試験に受かったから先生と呼ばれて然るべきだと自らを欺く生き方は体に毒です。
医学は、なお商業へと堕落し続けています。総じて彼らは、お金や利己主義という保育室で学んでいる最中であり、治療や医術の専門家でも権威でも識者でもないため、可能なかぎり頼らないようにし、できるだけ薬や検診や彼ら流の治療を拒否し、自身の内側に存在する全知全能の医師に耳を傾ける術を各々が習得すべきだと思うのです。このような話が世の中の嘲笑の種ではなく常識になってゆくためにも、われわれ瞑想する者は、先駆的探求者として、自身でまず習得へと向かわねばならないと思います。話を戻すと、生活習慣病とは、単に正しくない波動を食する習慣の結果ではないでしょうか。例えば、太っている人が、カロリーを気にして何時間も歩いたり、膝を傷めないように水中歩行したり、食欲や好きな食べ物やアルコールを泣く泣く我慢したりしており、頭に理想を描き、意志と努力を重んじ、絶対に痩せてやるのだとおのれに念じ、痩せたり太ったりを繰り返しております。私の周囲にこのような人がいますが、彼の職業は医師です。
足掻かず、瞑想してみてください。自身を衝き動かす低位のエネルギー(人類においては主にアストラル・フォース)ではなく、高位のエネルギーで諸体を満たす習慣の方を優先してみてください。食欲からは自由になりますよ。完全にとは言わない方が良いでしょうが、お腹が空くことは次第に少なくなるはずです。また、生活習慣病へと導く誘惑や引力は自身に影響力を振るわなくなるはずです。したがって、勝手に健康になり、かつての習慣へと導いていた低位のフォースつまり衝動は、自動的に魂が統御するようになり、気づけば悪癖や悪習やストレスとは無縁になっているでしょう。このようなことは、どれくらい諸体が純粋であり、つまり瞑想と呼ばれる状態に馴染みがあり、高位のエネルギーの伝導体になっているかに比例すると思います。生活習慣病を漠然と治そうとするのではなく、よくない習慣へと強いる力を呼び込む自身の原因を先に知ってください。これが分からないなら、どれだけ治療してもまたしばらくすれば同じような病気にかかるため、私たちは病気を治療するより、病気の原因を理解してもらうことのほうが重要だと考えます。
例えば、世の中の食べ物を食べてみてください。口に入れた物に応じて、波動が落ちます。それで、本当はもう食べなくとも良いのに、もっと食べたくなったり、別の欲求が芽生えたり、いらぬ睡眠を貪らねばならなくなったりするでしょう。負の連鎖と悪循環の習慣へと流されます。これを、感情で考えてみてください。怒りや、恨みや、妬みや、不安や、恐怖や、悲しみなどの感情を体内に入れてみてください。あるいは、誰かや何かを許さないと感じてください。即座に健康を害します。保持するかぎり、じわじわ自身を痛めつけ、その強度に応じて、肉体のみならず精神も病気にするでしょう。諸体が病に冒されす。この場合、食品添加物を気にするよりも、遥かに健康に悪いものを体内に入れていることをご自身で見出してください。ストレスが溜まる、ストレスを発散する、などと言いますが、それは自身のフォースを統御できないため、別の一時的な欲求や破壊的衝動へと負の連鎖で誘導させられているのであり、ストレスそのものから完全に自由な人生はついぞ見込めません。ストレスを溜め、発散するの繰り返しになります。なぜ、人類は原因に目と注目を注がないのでしょうか。なぜなら、現状、代償を考えるよりも物質の誘惑の方が魅力的だからです。その引力を見てください。抵抗することなく。
何であれ、抵抗するとストレスと呼ばれるものを感じることになるでしょう。好き嫌いや価値観といった錯覚を食しているのです。健全ではない思考を食することに気をつけることがまずは健康の秘訣ではないでしょうか。それは、正しい考えをしようと努めることではなく(結果に働きかけるのではなく)、正しいとは思えない思考をしているときに、ただ気づいてください。それ自体を責めることなく。自分の思考と思っているでしょうが、単に反応であり、誰からも責められるものではないため、ただそれに気づき、見てください。どうしようともしないでください。瞑想を深め、魂と融合するにしたがい、無関心に何でも眺められるようになるでしょう。見て、終わりです。つまり、注目というエネルギーを注がないため、想念や感情といったものは餓死せざるをえないのです。それらは養分なしに存続できません。「エネルギーは思考にしたがう」という最初に習う格言を、日常から気をつけて、今日、実際に生きてみてください。
結果と原因を識別させるように教えることが教育に求められていると思います。この教育者は、自身の魂です。真の先生は、瞑想中に認識できるようになる内的な霊的自己です。これを言い表す単語がないため、仮に使用している魂や霊などの概念はすぐに忘れ、実際にご自身の瞑想で出会ってください。出会う方法は、出会おうという欲望に気づくことから始め、そのような情緒的思考つまり低位の波動と同一化する生活習慣病を見抜く目を養ってください。しばらく、自我の欲望瞑想ではなく、このような正しい瞑想を続けるならば、高位の波動を頭部に引き入れるようになり、自我の視点からすれば、そのリズムが正しいのだということを信じ、おのれに、つまり諸体に新しいリズムを課してください。より良い意識に導かれるでしょう。
今日、日頃から私の周囲にいる者が、瞑想者でもないのに、魂のフォースが額に流れ込むようになりました。その反応は困惑です。仕事ができない手につかない。額を押さえつけて、どうか仕事をさせてくれと言うのです。自我の波動で、どうして良い仕事ができるでしょうか。その波動を表現として表出してこそ、良いものが仕上がることを知ってもらいたく、一緒に20分くらい瞑想しました。時々話しかけて誘導しましたが、やがて反応できなくなりました。内なる高位の波動と整列していったため、もうその状態が心地よくて反応できないのです。これが日常にならねばなりません。高位の波動と接触できるようになった者は、だいたい同じことを言います。なんで私にと。そして困ります。なぜなら、魂つまり高位我は、低位我で”生きれなく”してくるからです。自我の波動や、生活習慣病を誘発する悪癖へと引きずり下ろす低位の波動を統御するのは、高位の波動です。彼が低い波動を高い波動に引き上げる治療を行います。低い波動の集まりが私たちです。こうして、私自身に高位のエネルギーは照射され、私は破壊されるのです。新生し、新たな意識に覚醒め、平和と解放を知り、愛と知的な奉仕が喜びになるのです。このような高位の欲望へと導く唯一なる力つまり意志が存在しており、これをもって医師と私たちは呼びたいのです。この意志に生きること、この意志つまり生命を見出し生命へと導く仕事が医師の定めであり、真の医術だと思います。