眉間から天国意識に入ることができるならば、どこにいても、その場所が天国になることになる。これは、天国が場所ではないことを示唆している。ならば、我々は世界の中の場所にいるのであろうか。場所にいるのは肉体ではないであろうか。場所や世界は、意識の中にあるのではないであろうか。
世界は意識の中で変容する。肉体が世界のどの場所にいようが、意識が変容することで、そこがたちまち天国に変わる。つまり世界は意識に依存しているのである。世界の中の私と思われた肉体の私も、意識によって存在したりしなかったりする。例えば夢のない眠りのとき、世界もなければ世界の中の私なる肉体もない。あるいは夢を見ているとき、別の世界を我々は見ており、夢の世界の私と同一化しているはずである。意識によって世界は変わり、その世界の中の私も変わる。これは、それらすべてが、意識の中に起こっていることを示している。
もしこれが理解できるならば、我々は世界の中にいるのではなく、真の私の中に意識が起こり、その後、意識の中に世界が生じたことを認めるであろう。この逆転が起こらねばならない。このイリュージョンの矯正が起こらねばならない。すると、真の私とは、意識に先立つ私であって、それはいまここに存在するものである。それを確認するのは場所ではない。場所は意識の中にある。界層も意識の中にある。その意識を可能ならしめている私、これが原初の我、すなわち真我である。
意識である私の中に世界や場所があり、それは真の私において実在ではない。にも関わらず、我々は世界の中に自分がいると思って生きている。それは、肉体を私だと考えているからである。この初歩的な錯覚を矯正するために、眉間に意識を置いて生きるように最初に我々は教えられる。しかし、眉間に座す魂の領域から生きている者は少ない。それが可能な弟子ですら、自我で行動しているとき、もう眉間から意識が落ちて、みぞおちに焦点化して、アストラル偏極するようになっている。眉間から、つまり魂から生きずして、どのようにして個我をコントロールできるだろうか。日常で、ずっと眉間に意識を置き、眉間から「入ったまま」、見えるものに惑わされず、世界の中の肉体である我という錯覚なしに、世界に先立つ意識つまり魂としての我で生き、地上を天国化し、すべてが美しい、素晴らしいという、神の完全性を見て、その喜びを味わい生きれるようになることが、個人の最初の偉大な目標である。
ここまで書いたのは、或る人が、「寝ているときに眉間に意識を置くなどのコントロールはできないのではないか」と私に問うたからである。みなさん、はっきり今日からできることを言うのでよく聞いて実践してください。寝る前に我々は瞑想するだろう。次にベッドに入り、体勢が仰向けとか横向きになり、枕に頭をつけることで、深い意識に入りにくくなるだろう。それで、普通の人は自我に戻って寝る。こういうことは弟子には許されていない。寝ることよりも、眉間に意識を置いたままであることを重視せずして、どうして自我をコントロールできるだろうか。背筋を伸ばして瞑想しているときよりも難しくはなるだろうが、できる限り眉間に意識を置いて、可能ならばそこからさらに魂の意識に入ったまま、眠るべきである。これを今日から実験してもらいたい。寝る前に自我に戻ってはいけない。高位の意識を保ったままであることが何よりも優先されねばならない。そのためには、みぞおちに意識を落とさず、眉間のまま、そして真に重要なのは眉間から入ったまま寝起きすることである。意識の怠慢は、眠るときにすら許してはならないのである。なぜなら、もったいないからである。自我で眠る癖のある者と、瞑想したまま眉間から眠る者とでは、進歩の速度として大きな差が出るだろう。瞑想のときだけ眉間から入り、瞑想から出たならば眉間から落ちるようならば、またすぐに錯覚して、肉体として生き出し、世界の中の個人に意識は堕落するだろう。場所が存在するようになり、自分と他人が存在するようになるだろう。瞑想で高い意識状態に入ったとき、そのようなものがあったであろうか。すべては一なる我へと返還されていたではないだろうか。降りるなかれ。落とすなかれ、である。おのれを鍛えるのは眉間からである。魂によってである。どのようなときであれ自分が何者であるかを忘れてはならない。さもなければ、我々は自分を肉体だと思い始めることになる。
魂に働きかけることによって、進化の真の技術が進展する。というのは、形態の、そして形態内の発達を引き起こすのは、すべての自然王国の形態に内在する魂だからである。したがって、主要な目標は、魂を認識し、魂意識を培い、魂として生活し働くことであると言っておきたい。自らの道具を意図的に用いることができるようになるまでは、マインドを訓練し、顕現を支配する法則を学び、私たちがいま「高位」という言葉で言及しているものすべてを包含することを学びなさいと忠告しておいたほうがよいであろう。
アリス・ベイリー「ホワイトマジック上」p.203
