瞑想とグル

正しい教師やグルは必要でしょうか。

はい、それは魂のことです。

いえ、真我覚醒された肉体のグルのことをお伺いしたいのです。

その質問が大切な理由を教えてもらえますか。

分からないことが多い初心者だからです。自信もありません。先日、真我実現したと主張される教師の個人セッションを受けましたが、効果があったのか分からず、騙されたのではないかという気持ちがあります。

真我実現した方にお金を払う必要があったのですか。

30分で1万5000円だったので最初は良心的だと思いましたが、今ではよく分かりません。

騙されたと思うならば、その落ち度の背後にある欲求という低位の波動から自由になる必要があります。その教師はお金に困っているのかもしれません。愛の祈りでそういう方々を援助することができます。

真のグルの見分け方はありますか。

そういうことを考えずに瞑想することが肝要です。教師は常にあなたを助けています。これは事実です。ある人に恩寵があり、別の人にはないということはありません。どのような瞬間であれ、あなたは導かれており、そこから学ぶことができます。

独学の瞑想で可能だとあなたは考えるのでしょうか。

独学でなければなりません。書物はヒントを示し、教師は波動的に助けることができますが、それは一定の範囲内にとどまります。お金持ちの息子がろくな人間に育たないとよく言います。身に沁みる苦労もなく、何でも買い与えられ甘やかされたからです。彼の心は鍛えられぬまま大人になったのです。こういうことが起きない範囲でしか、教師は助けることができません。

その範囲でいいので私には助けが必要です。自分では絶対に無理だと思っています。

その恐れはどこから来ているのでしょうか。

恐れているのではなく、一歩でも悟りに近づきたいのです。

それは欲望でしょうか。

良い欲望です。真我への欲望だけが唯一許される欲望だと覚者は述べております。

それは最初の話です。探求に入ったならば即座に除去されねばなりません。

除去したら探求のモチベーションもなくなるため除去すべきではないと思います。

あなたはそのシャツを脱ぐとき、まずはジャケットから脱ぐでしょう。いま、あなたはシャツを脱ぐ話をしていますが、ジャケットをかたく握りしめています。よって引っかかっており、裸である真我を知ることに支障をきたしています。

真我への欲求を捨てたとき、実際に私に起こることは、瞑想をやめてしまうということです。違いますか?

欲求は自我のものであり、欲求で瞑想するならば、進化ではなく退化のフォースを強めるだけになります。それは瞑想ではなく懇願です。聖人への道ではなく乞食への道です。だから欲求によらずして瞑想することを学ぶ必要があります。

私は自我なので欲求で行動します。

それが無知であることを知るために瞑想があります。あなたは自我ではなく、欲求を主と仰ぐ愚か者でもありません。その欲求と真のあなたは関係がありません。これを知り欲求のような低位の波動と同一化しないことで、あなたは徐々に静かになり、波立たない心の水面に光輝く真我を映し見ることが可能になります。

私はグルに導かれたいのです。真のグルを見つけるまで私は諦めないつもりです。

分かりました。

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