- 私が魂を感知できない理由は、エーテル体の浄化が完全ではないから、という可能性がありますか。
エーテル体は、魂のエネルギーが物質界へ流れ込む経路であり、肉体と高次のエネルギーを結びつける橋渡しをする。具体的には、メンタル体→アストラル体→エーテル体→肉体という順序で伝達される。ゆえに、エーテル体の純化は魂の知覚における一要素ではあるが、単独要素ではない。アストラル体とメンタル体の純化が同時に必要であり、現代の人間においてはアストラル体で主に魂のエネルギーが歪曲表現されているため、アストラル体の浄化が魂の認識を妨げる最大の要因である場合が多い。
- 私はエーテル体に興味を持っています。エーテル体はエネルギー体であり、すべてのチャクラはエーテル体内にあるように、進化の鍵はエーテル体にあるのではないかと考え始めているのです。
進化過程をエーテル的側面から捉えるならば、それは肉体とアストラル体の間にある物質的な質料(四つのエーテル亜界)を除去し、四つの宇宙エーテル界の質料(ロゴス界、モナド界、アートマ界、ブッディ界の質料)と置き換える物理的な過程である。ここで言う「物理的」とは、単に振動数の違いを指し、より精妙な物質へと変化することを意味する。我々が通常「エネルギー」と呼ぶものも、より高振動の物質にすぎない。したがって、この置き換えは具体的な物質の変化、変性、変容として起こるものである。
- そのような質料の「置き換え」過程が始まるのはどの段階ですか?
第一イニシエーションの瞬間に、一定量のブッディ・エネルギーが流入し、高位のエーテルが移動して低位のエーテルと置き換わる過程を進展させるようになる。これにより、エーテル体の質が徐々に変化し、より精妙なエネルギーを伝達できるようになる。各イニシエーションの段階でこのプロセスは強化され、特に第三イニシエーション後にはエーテル体を通じた魂の表現が大幅に増す。
- エーテル体の純化に必要なことを教えてください。
太陽光・食事・運動・エネルギーの管理つまりチャクラ間の霊的調整・瞑想など、個別に上げればきりがないが、あなたの場合、エーテル体にこだわりすぎないことが重要である。バランスの視点を持たないと、どこかで自身に破壊をもたらす。エーテル体の純化は、正しく瞑想し、正しく考え、正しく生きようとするとき、自然に進展するものである。
- 私は肉体の影響を受けない意識を目指しているのです。そのため、エーテル体に着眼しなければなりませんでした。特に、私はある病気を持っており、そのため苦しんでいます。この肉体の病気さえも超越できるのはどの段階になるのでしょうか。
(※「ある病気」の病名を私は聞き、それが現代医学では治療できないものであることを理解した)
その病気の場合、第四イニシエーション以上である必要がある。しかし、病気の多くはカルマ的なものであり、そのような段階のイニシエートである場合、カルマの解消の必要性から、自身の病気の治療に興味を持たない可能性がある。ブラヴァツキーも、ベイリーも、ニサルガダッタ・マハラジもそうだった。マハラジは、「このすべてが耐え難いが、それでも耐えられねばならないのだ」と述べている。しかし、軽減することは可能である。多くの病気が魂のエネルギーで治療でき、より難しい病気はアートマのエネルギーで大幅に肉体意識として苦痛を軽減することが可能である。
- 私は死を恐れませんが、痛みを恐れるのです。あなたは極度の痛みを意識において超越できますか。
極度の痛みに対し、私は健康であれば、せいぜい軽減することができるだけである。ただし、軽減できない痛みもある。特に、持続的な痛みではなく、予測できぬ瞬間に断続的に訪れる痛みや、肉体意識におけるあらゆる箇所に同時に起こる痛みである場合、なお無力である。私がかつて経験した大病では、ある箇所を刃物で刺し続けられる感覚であり、「耐え難い」ものだった。しかし憔悴しながらも耐えねばならなかった。憔悴しているとは、もはやどのような高次のエネルギーも使えないことを意味している。それは同時に、意識と波動が落ちた状態を意味し、肉体の苦痛と霊的苦痛を同時に味わうというものである。しかし、我々は時に耐えねばならないのである。あなたは形態からの解放つまり死によってこのカルマを終わらせるかもしれないが、それはあなたが「恐れない」と言っているように、喜ばしいものである。すべて耐えられるべきものは一時的である。まだあなたは深刻な段階には遠く、(あなたの治療法は優れたものであるため)治る可能性もあり、何よりまだ瞑想ができる。肉体は諦めても、魂は諦められない。
進化におけるエーテル体と病の試練
