このブログは、多くの人に広く読まれることを目的としていません。読者の数が増えることは重要ではなく、必要な方に、必要なものが届くことを重視しています。
たとえば、「1万人が少しだけ進歩すること」よりも、「数人が高位の意識に引き上がること」に重点を置いています。そのため、書かれる内容は一般的なものとは異なり、特定の層に向けたものになります。
衝撃を伴う文章について
このブログでは、読んだ方が「今まで考えもしなかったこと」に直面することがあるかもしれません。
この衝撃は、個人を否定するためのものではなく、固定観念を揺さぶり、新しい視点を開くための意図的なものです。 何かを本当に理解するためには、時に自身の考えが揺さぶられることが必要になるため、ここではあえて挑戦的な表現を用いることがあります。
このブログ、あるいはそれ以前のものから熱心に継続して読んでいる方の多くは、もう少しで「引き上がる」ことが可能な人たちで構成されており、その種の衝撃を歓迎する傾向があります。たとえば、「良い人間でありたい」と願っている方が、自分では気づけなかった人格の欠点を指摘されたとき、感銘を受け、また感謝する場合がありますが、このブログの長い読者は主にそのような方々であり、記事に個人的な慰安を求めるというより、個人の超越のために犠牲にするものを歓迎する精神――自己の成長のためには、自分のこれまでの考えや価値観を手放すことを厭わないという意識で接してくれています。
共に考える場として
したがってこのブログは、共に考え、問いを深めていくことを大切にしています。固定された結論を示すものでは決してなく、それぞれが自分自身の答えを見出していくための手がかりになることを目的としています。
よって、すべての問い合わせに直接答えているわけではありません。個人的な内容には返信することがありますが、一般的な問いについては、記事の中で考えを示したり、文中の一箇所で簡潔に触れたりする形を取っています。
書き手自身もまた、思考を巡らせ、新たな視点を見出しながら書いています。真に思考することが重要であるため、ここに書かれていることが正しいという視点では読まないでください。すでに魂と深くつながっている方は、ご自身の内なる確信を最優先してください。
霊的自立を損なわないために
ここで語られることは、ある段階においては助けとなるかもしれませんが、次の段階へ進むにつれて、自然と不要になっていくものです。読むという行為は本質的に一時的なものであり、基本的な理解と定位が内面に確立されれば、このような文章に触れ続けることは、むしろ成長の妨げとなります。文章に依存することは、明確に読み手に内在する力を失わせる方向へと作用し始めます。
読む力とは、読むことにとどまらず、読むことから自由になる力です。それは、思考し、沈黙し、内なる答えに触れる力のことです。このブログは、そうした霊的自立へと向かう過程において、一時的に機能するものとして語られています。
同じ場所に長く留まりすぎることの弊害を知りつつ、読んでいただけたらと思います。
最後に
ここで書かれる内容がすぐには理解しづらいと感じることがあるかもしれません。それでも、「何かを感じる」「挑戦を受け入れたい」と思うのであれば、それは、この場が今のあなたにとって必要であることの証明なのかもしれません。必要なものだけ受け取ってください。そして、それを瞑想や日常の実践に活かしてください。