シュリー・オーロビンド・ゴーシュの思想や解釈の中から名言と呼びうるものを紹介する。オーロビンドは、植民地時代のインドにあって、西洋近代思想に深く触れた後にインドの霊性に回帰した人物であり、その人生の立ち位置から必然するかたちで、近代哲学と神秘主義の架橋を試みた存在であると言うことができる。ゆえに、簡単に語りうることを哲学的な難解で複雑な表現の仕方を採用しただけであり、「それ自体」には到達していたが、現象世界で表現する際には、彼が対象とする読み手――知的に誠実だが霊的には未成熟な層を刺激しうるアプローチとして、以下のような言語表現を採用し、知の構造で世界を把握する層に「霊的実在への入口」を示すことを目的としたように見える。
超精神(Supermind)
定義
「超精神」というのは、それ自身についてのある種の真理と、本来の無時間的かつ無空間的な実在がとる時間的かつ空間的な広がりを通してそれらの真理を実現しようとする意志とを、同時に認識するような、一つの決定力をもった自己認識へと移行していく「大いなる存在」のことだということになる。
「神の生命」p.187
もし対立する二つの存在の間に、一つの媒介的なリンクが存在して、それが一方を他方に説明してくれるとともに、精神、生命、身体という形を通して唯一の「実在」「意識」「至福」を私たちに実感させてくれるような関係を、両者の間に確立してもくれるというのでないかぎり、この隘路から逃れるすべはない……しかし、こういう媒介的なリンクは実在するのである。私たちがそれを「超精神」もしくは「真理=意識」と呼ぶのは、それが精神のように事物の見かけの姿と現象的分割を通して実在し、活動し、前進するのではなく、かえって精神構造より優れた原理として、ものごとの根本的真理と統一を通して実在し、活動し、前進するからである。
「神の生命」p.186
超精神の性質
私たちが、みずから個々の分割されたもののうちに住みついて全体を見ることができないところから、意志および力の衝突と見るものも、「超精神」からすれば、自分のまなざしにとってはものごと全体が永遠のテーマであるため、自分にとってはつねに眼の前にある予定調和の、たがいに符節を合わせた要素同士にしか映らないのである。
「神の生命」p.188