ご質問をされる方へ

問いを立てるという行為には、
それがどのような内容であれ、私たちが何に向かって生きているのかという姿勢が現れます。

返された答えが自分の望むものであったとしても、そうではなかったとしても、
そのときに、心がどのように反応し、どのような態度を選ぶか――
そこに、私たち自身の姿勢がそのまま映し出されるのではないでしょうか。

質問をし、返答があったにもかかわらず、
その内容が期待に沿わなかったからという理由で、
挨拶もなく終わらせたり、暴言や陰口で応じる決意をしたり、無視したりするようなことがあるならば、
そこには、探求の障害である自我が、そのまま態度を支配しているという可能性があります。

このことは、「感謝しなさい」と求めるものではありません。
ひとことの礼を返すかどうか、もしくは誠実に返そうとするかどうかは、自身の内面の在り方の反映であることを、
どうか心にとどめていてください。

そもそも私たちは、問いを立てるとき、
本当は何を求めているのでしょうか。
癒やしでしょうか、賛同でしょうか、肯定される安心でしょうか。
それとも、たとえ望まぬ内容であっても、そこに含まれる真実に向き合おうとする覚悟なのでしょうか。

この問いが据えられていないとき、
どれほど多くの知識を集め、どれほど長く探求を続けていても、
その歩みの核は、いまだ定まっていないままかもしれないのです。

清い心とは、穏やかで整った状態のことではありません。
心がかき乱されているときでも、動揺や苦しみの中にあるときでも、
それでもなお、正しく生きようとする誠実さを手放さない姿勢――
それが、霊的素養としての最初の光を放ちうる清らかさではないでしょうか。

誰にも見られていない場面で、そっと靴を揃えるように、
ひとつのやり取りに対しても、静かに誠実な在り方を選び取る。
そうした行いは、表面的な形式や作法の話ではなく、
自我よりも美しいものに従い生きようとする心の願いが、日常に染み出している証だと思います。

顔の見えない相手であっても、匿名のやりとりを選ぶのであっても、
どうか、問いを立てる以上、
その始まりから終わりまで、ご自身のために、誠実さを貫いていただけたらと思います。

目次