「瞑想を始めてから人嫌いになり、人と関わるのが億劫になりました」と言われる。こういう話は幾度となく聞いてきた。変わりゆく自分を恐れてはならない。注意すべきは、バランス感覚を保ち、あまり閉じこもらず、なるだけ心を開いておくことである。精神的な引きこもりの問題は、心を閉じることで、文字通りエネルギーの健全な循環と流出ができなくなり、流入したエネルギーが出口をなくして内部で腐敗し、その者に破壊的な作用を及ぼすことである。日常生活で創造的ないし奉仕的であるならば問題はないが、恐れから閉じこもることを選択するならば、多くの引きこもりが精神に問題を抱えていることが実例にあるように、我々も問題を抱えることになるであろう。ここが気をつけるところである。
ところが、最も身近な家族が、変化しゆく我々に対して危機感を抱き、俗世的であるような誤った引き戻しを講じてくるならばどうだろうか。この種の話もよく聞く。私が瞑想をはじめた頃、瞑想という言葉が嫌で、また恥ずかしく、まだ黙想の方が許容範囲であり、いぶかしがる家族には「黙想をしている。だから静かにしてくれ」とよく頼んでいた。うるさいのである。私は貧乏だったし、家も貧乏どころか借金だった。そのカルマの期間、私は家にいながら、そして家族からの偏見や揺さぶりを受けながら、耳栓をしたり、あまりにうるさいためクローゼットの中で瞑想していた。親の借金を返済し終わるとすぐに家を出て静かな場所に引っ越した。つまりうるさい波動から自らを隔離して、守って、沈黙という霊的な覇道を歩むことにした。
家族が執拗にうるさい場合、可能であればそこを去ることが賢明な場合もあるであろう。私は義務を果たした後にそのようにした。また、家族と喧嘩になりそうなときは、ただ黙ってそこを去り、自身の部屋かクローゼットの中で瞑想し、我と我が身を低き波動から守るようにこころがけた。静けさに慣れすぎて、他人がたとえ静かであるときも、波動的なうるささが手に取るように分かり、それすら嫌でたまらなかった。だから、あなたの言うことはよく分かる。人嫌い、人の騒音、人と人との軋轢、これらに耐えうるほどの強さがない時代のことをよく理解できる。のちに、オカルト的つまり目に見えない原因の世界からそのような「空気感」を浄化できるようになるし、周囲から影響を受けることもなくなるであろう。なぜなら、我々はこの世の波動が指一本すら触れられぬ世界つまり意識に守られるようになるからである。これが神の導く意識であり、神聖意識である。
神聖意識は、人間の世界での問題をすべて霊的幸福でかき消してくれる。この世で悲しくても、ひじょうに喜びに満ちるようになる。この世でひきこもりでも、すべてのすべてと一体化するようになる。それは心を開いているからである。武装解除しているからである。真の白旗とは魂のことである。唯一なる魂。これはまさに愛であることを私は断言する。したがって、心を開く者幸いなり。分離を超える者幸いなり。そのような者は神の大愛に包まれ、すべての全我を愛で包むようになるであろう。愛で治療するようになるであろう。この愛という神聖意識は、外的にも内的にも、汚れた低き波動からおのれを守り、一定期間守り抜き、高き波動を一定期間達成したことを証明したとき、ある恩寵のかたちで(それをイニシエーションと呼んでもいっこうに構わないが)、はっきり自身の意識になるであろう。したがってこれ以降はかなり安心安全である。
最近、カルマ的に忙しくあまり書けない。このようなカルマがまだ残っているのかと思うが、仕方がない。時間がないゆえ短いが終わる。
