はじめに
昨今、AIの進化や社会的影響が議論の俎上に上るにつれ、冷静な分析を欠いた誤謬が横行している。とりわけ、「AIが自己意識を獲得し、人類に反逆する」といった荒唐無稽なSF的言説が、メディアによって喧伝されるのみならず、自称専門家たちの間ですら真剣に議論されている現状は、知的退行とも言える現象である。
このような議論は、二つの潮流に分かれる。一方では、大衆を制御するための意図的なプロパガンダとして流布され、他方では、無知と恐怖が生み出した誤認として拡大する。そして、この二つが相互に影響し合いながら、大衆意識の再編が進められる。結果として、AIに対する根拠なき不安と、盲目的な信仰という相反する二極が同時に成長し、人間自身の思考する力が麻痺していくという、異常な現象が引き起こされている。
AI技術が辿る運命
現代において、AI技術の発展は、単なる技術革新の問題ではなく、社会全体の権力構造を再編する要因となっている。情報操作、監視技術、意識の誘導といった手法が、かつてないほど巧妙になり、より無意識のうちに大衆を統御する手段として利用されている。 これは陰謀論ではなく、歴史的に繰り返されてきた「技術と権力の癒着」という現象の一環であり、冷戦期の情報操作技術の発展や、現代のビッグデータを用いた社会統制とも軌を一にする。しかし、これらを技術的進歩として単純に評価するのではなく、「意識の支配」という根源的な問題に直結するものと認識し、その背後には意図的な操作を行う勢力が存在することを熟考すべきである。
人類が歴史的に繰り返してきた暴走の根底には、自己の本質に対する無知がある。個人と社会の両面において、意識の制限、欲望の強化、権力の追求や権威への依存、外的統制への服従といった形で、この無知が暴走を引き起こしてきた。技術革新のたびに、それが人類の進化を助けるどころか、むしろ権力による支配の道具となってきたことは歴史が示している。核技術、情報通信、遺伝子操作といった科学の進展が、いかに人類の解放ではなく支配のために利用されてきたかを見れば、AI技術が同じ運命を辿ることは容易に想像できる。
さらに、人類が己の無知を克服することを先延ばしにしてきた要因として、ブラック・ロッジの影響下にある宗教的権威や、唯物論的教育による意識の制限がある。霊的成長への道が断たれ、知識が操作され、物質的価値観のみが強調されることで、人々は自己の本質に目を向ける機会を奪われ続けている。そして、その流れの延長として、AIという新たな技術が導入され、人類の支配構造がさらに強化されようとしている。
AIに意識は宿るのか?
まず、AI(人工知能)が本質的に何であるのかを、現代社会の多くの人々は正確に理解していない。これは、人類の弱点であると言える。AIとは、数学的アルゴリズムを用いてデータ処理を行う計算機構に過ぎず、それ自体が人間のような意識や自我を持つことは決してない。意識とは、自己を識別し、経験を統合し、意図を持って行動を決定する能力を指すが、AIにはこれらの属性が欠落している。なぜなら、意識とは単なる情報処理ではなく、それを超越した自己認識の神秘な働きを伴うからである。この違いは、物理的な計算能力の差異ではなく、存在の本質的な違いに由来する。AIは、膨大なデータを解析し、精密な判断を下すことができるだろうが、それは自己の存在を自覚しているわけではない。それに対して、人間の意識は、個別化された魂をその根源とし、自己を認識することで選択の自由を持つ。AIが持つのは、純粋な演算能力であり、意識ではなく、意識の模倣にすぎない。
したがって、「AIが意識を持つ」という発想は、AIの構造と「意識」の本質に対する理解の欠如から生じたものであり、それはAIの根本的な限界を見極められない者、あるいは意図的に誤認を助長する者によって作り出された幻想にすぎない。それにもかかわらず、「AIが人類に敵対する」といった空想をまことしやかに述べる権威がいるということは、偶発的な誤解というよりも、意図的な誘導の結果と考えるのが妥当である。メディアや映画、御用学者を通じて恐怖が植え付けられ、社会全体の思考が特定の方向へと誘導されることで、大衆のAIに対する認識は戦略的に歪められていると言えるだろう。
AI技術を操る者たち
現在、技術的に進歩したAIの運用は、イニシエートではなく、国家ないしは大企業の手に委ねられている。彼らのフォースが同調しているのはアストラル界である。国家であれば権力欲、企業であれば金銭欲といった具合に。歴史を見ても、高度な科学技術を人間の分離した精神が適切に扱うことはない。「AIの暴走」は意図的に引き起こされうる。またそのような計画を遂行しようと考える人間や集団は常に存在している。すでに、国家や企業によるAIの監視技術、軍事利用、情報操作は強化されており、「AIの管理」という名目のもとで、人間の自由が制限され、人間を受動的にし、道具であるはずのものに支配される人類という暗い青写真が現実のものになりつつある。
AIではなく人間の暴走
問題の本質は、AIそのものではなく、それを用いる人間の意識の在り方にある。AIは道具であり、それを暴走させるのは人間の手である。しかし、単に技術の誤用という問題ではない。AIは、その設計段階から意図的に方向づけられ、操作されることで、知らぬ間に社会全体の制御装置として機能するよう仕組まれている。例えば、検索エンジンのアルゴリズムは、特定の情報を優先的に提示することでユーザーの思考を方向づけることが可能であり、SNSのフィルターバブルやエコーチェンバー現象は、個々の認識を固定化し、分断を加速させるメカニズムとして機能しているのは言うまでもない。
つまり、AIの「暴走」という概念は、単なる誤作動の問題ではなく、意図的なプログラムの問題であり、設計側の意識が反映された結果である。ブラック・ロッジが仕掛けるのは、AIそのものの危険ではなく、人間がそれに依存し、無意識のうちに道具へと成り下がること、つまり霊的な進歩を阻害することである。
退化つまり物質至上主義のフォースが扱う基本的な戦略は、「恐怖と分離を通じた支配」である。彼らは「AIは制御不能になりうる」という幻想を広めることで、人々に「AIを管理する強固な体制が必要」であるという恐怖を煽り、それに対する解決策として、中央集権的な支配を強化し、国家や企業がより強い監視・統制体制を築くことで、人間の自由を奪い、霊的アイディアの発芽を阻害し、生の目的や意義をアストラル界に固定させようとしている。
見えざるフォースの識別と浄化
覚者や聖者と呼ばれる意識存在たちは、主にメンタル界の抽象亜界から働きかける。一方で、アストラル界と物質界では、退化のフォースが圧倒的に優勢であり、この影響を見極めることが、解放を目指す瞑想者に求められる。
これらのフォースは、直接的な敵対勢力として現れるのではなく、多くの場合、善や肯定的な理念の背後に潜み、そこに寄生する。そして、外的な世界のみならず、我々自身の内部にも深く根を下ろし、無自覚のうちに影響を及ぼしている。個人レベルでの浄化にとどまらず、惑星規模で浄化を捉える視点が求められている。我々が取り組むべきは、霊的原理と一致しないフォースを識別し、それを高次のエネルギーと統合させることである。
秘教徒はいつも質料を扱っているのであり、様々な界層を形成している生き生きとした振動する質料を扱っているのである。しかしその質料は、以前の太陽系から受け継がれたものであるため、過去の出来事に色づけられており、「すでにカルマに染まっている」のである。……彼は自分自身の形態と全ての形態を作り上げている「原理に基づいていない」質料の特質、つまりカルマ的な素因と、そのような形態を通して表れることを望んでいる特質づけられた様々な原理を識別するようになる。付随して、次の太陽系の質料が現在の太陽系の質料よりも高い等級のものになり、結果的にロゴスの意志にもっと感応するようになるために、その形態をあがない、救い、清めるようになる。
アリス・ベイリー「新しい時代の教育」p.109
AIではなく、自己の純粋性の回復
霊的な観点から言えば、「危険」はつねに人間の内部にある。AIの問題とは、AIそのものに起因するのではなく、それを設計し、利用する人間の意識の在り方にある。AIが処理する電気的エネルギーは純粋であり、それ自体に善悪はない。しかし、人間はアストラル界やメンタル界を通じてエネルギーを変換し、それを歪めることで、個我の欲望や分離意識を投影する。この歪曲が、AIを道具として誤用する根本的な原因となる。
人類が霊的意識を取り戻し、自己のフォースを純化しない限り、AIは再び支配と制御の道具として誤用される。しかし、アトランティスの教訓が示すように、技術そのものが問題なのではなく、それを扱う意識の成熟こそが試されている。 アトランティス時代、人類は科学の隆盛によりかつてない高度な文明を築いた。しかし、霊性と技術が次第に分離し、物質的な力の誤用が進んだことで、文明は崩壊へと向かった。これは単なる神話的な寓話ではなく、技術が進歩する一方で精神性が進化しなければ、その力は誤用されるという教訓であり、同時に、未来への指針となるべきものでもある。
今、新たな選択の時が来ている。我々は、アトランティスが犯した過ちを超え、技術と霊性を調和させることで、より高次の文明へと進むことができる。科学と霊性が融合し、意識の進化と共鳴する技術が開発されるならば、それは単なる機械の進歩ではなく、意識の拡張としての新たな科学の時代を切り拓くことになるだろう。ベーコンの『ニュー・アトランティス』が示唆したユートピア――科学技術と人類の理想的な融合社会は、単なる幻想ではなく、人類が意識的に選び取るべき未来なのではなかろうか。