アリス・ベイリー– category –
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どうしても許せない人物
瞑想中の幸福を瞑想後に維持できません。目を瞑っている時の幸福が、目を開けたら不幸に変わるのはなぜでしょうか。 存在しない重荷を背負っているという想念が、世界を見ることで発生するからである。つまり、見える自分、感じる自分、記憶の自分が本物の自分だという、行為者の感覚に敗北するのである。目をつむると、世界は存在せず、内なる感覚に容易に焦点化できるため、あなたはただ幸福なのである。 目を開けたまま、行為者の感覚を消すコツのようなものはありますか。 内的な通路やメカニズムと関係してい... -
個人の超越
おのれを良く見せんと固執するとき、人は臆病なまでに自信がない。自信とは、外的な自己の自信ではなく、内的な認識がもたらす喜びの表現である。あらゆるコンプレックスは外的人間のものであり、彼や彼女の改造は、賽の河原に石を積むがごとく際限がない。したがって、恐怖とはつねに内的無知に由来している。人間が瞑想し、外的形態から静かに撤退を願うとき、果てもない喜びに到達する。魂と整列したとき、自信なき者の弱さは追放され、恐怖は喜びに置き換えられる。天壌無窮の喜びに穏やかに安らぎ、私は喜び... -
帰還の道
高所の沈黙へと入る能力が必要である。マインドの鎮静化はリズムの法則によってもたらされる。もし、あなたが多くの方向に揺れ動き、あらゆる方向からの想念を感知するならば、この法則があなたに作用することはできない。そのため、平衡を達成できるようになる前に、バランスと安定を取り戻さなければならない。波動の法則と原子質料の研究は密接に絡み合っている。これらの原子とその活動と反応と相互作用についてもっと多くのことを知ったとき、人々は波動の法則とリズムの法則に同調し、科学的に自らの諸体を... -
魂とマインドの瞑想
普通の人は考えることで案出する。瞑想者は考えない。人々が使用する脳や低位マインドが静かなときのみ、高位マインドと直通できることを彼らは知っている。人間が「知る」のは、高位マインドの抽象的アイディアつまりまだ具体的な形態を纏っていない比較的純粋な想念以前の知的単位に接触し、それを個人的に低位マインドで解釈したときのみである。したがって、すべて知ることは解釈であり、イリュージョンである。だから「知る」ことは瞑想に何の関係もない。知られたものは、ただの想念である。したがって人間... -
マインドの主
人間の三つの低位様相と魂の間の断絶に橋を架けることが教育の目標になるまでは、正しい方向における進歩はわずかなものであり、その場しのぎのどのような方策も、現代の必要を満たすことはできないであろう。高位マインドの存在事実が認められ、低位具体マインドが高位マインドの僕として果たすべき役割が同じように認められるまでは、物質的なものを具体化する能力――その能力には……人間の低位欲求を満足させるものを生み出す傾向がある――は過度に発達していくであろうが、人類は真に思考するようにはならないだ... -
意識の断絶と回復
この課題とは、人間の注目の中心つまり焦点を正しく見定め、意識が主にどこに集中したらよいかに気づくことである。次に、その焦点をより高位の体に移すことができるよう、その人を訓練しなければならない。……つまり、この上なく重要と思われる体は、それよりも高位に位置するものの単なる道具になったとき、二次的な重要性しか持たないものになることができ、しかも、そのようになるべきであると。 アリス・ベイリー「新しい時代の教育」 p.30 平均的な人類はアストラル体に意識の焦点を置いている。よって現代の...