ラマナ・マハルシ– category –
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I AM THAT
引用 あなたはまず真我の存在を認めなければならない。「私は在る」が真我の実現である。実現が起こるまで、その手がかりをもとにたゆまず探究していくことがヴィチャーラだ。ヴィチャーラと真我の実現は同じことなのである。……瞑想には瞑想する対象が必要になる。一方、ヴィチャーラにおいては対象がなく、主体だけがある。 ラマナ・マハルシ「あるがままに」p.95 あなたはまず真我の存在を認めなければならない。 自我は、最終的に達成されるのが真我実現だと想像する。自我は彼自身の努力で真我に到達できない... -
制圧のプロセス
アートマンは死んだ心、つまり想念のない、内側に向かった心によって実現される。そのとき、心はそれ自身の源を見て真我となるのである。それは主体が客体を知覚するような状態ではない。 ラマナ・マハルシ「あるがままに」 p.92 実際起こることは、アートマンつまり魂の感覚が徐々に自我意識を上回り、最後に破壊を引き起こすだけである。「内側に向かった心」は、自我の瞑想における努力ではなく、魂のエネルギーの引力が諸体のフォースの引力を制圧した結果、強力な内的集中が起きただけである。そのとき、自我...