瞑想– category –
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国籍を持つ命はない
日本という場の内側に沈む問題を語ることは、多くの人が抱いてきた自国への誇りを揺さぶる行為である。しかし、それは攻撃ではない。むしろ、愛の痛みから出る言葉でなければならない。長い年月のあいだ、私たちは「秩序正しく勤勉な国」「礼節を重んじる民族」として自らを語ってきた。だが、その自己像の多くは、敗戦と占領を経て形づくられた模造の鏡にすぎない。誇りとは、過去を飾るものではなく、真実を直視する力である。その力が今の日本では弱まっている。かつて美徳とされた忍耐や協調、勤勉は、思考を... -
超人思想
人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由なのだ。 ドストエフスキー 超人は、自身が不幸でも幸福でもどちらでもよく、無関心である。幸不幸の指標は別のマインドの判断か推測であり、超人自体は常に至福であり、幸福も不幸も知らない意識状態にある。 人間には、幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。 ドストエフスキー 幸不幸は表裏一体であり、片方がもう片方によって成り立っており、どちらかだけを掴めるものではない。見習いの弟子はこのこと... -
聖なる無責任
誰もが、自分に何らかの責任があると思い込んでいる。もし、我々に何かの責任があるというのなら、我々は永遠に自由にはなれないだろう。永久に責任を所有し、その責任に縛られることだろう。責任とは、自身が特定の個人であるという思い込みが存在するときにだけ、一時的に存在する錯覚である。例えば悪事を働いた結果として刑期を務める責任があると人は言う。あるいは、昨日酒を飲みすぎたから今日は二日酔いに苦しむという責任は妥当だと人は言う。病気になったら治るまでは病気に耐えなくてはならないはずだ... -
プロジェクトX
自分という感覚は、時間の意識にしか存在しない。過去の積み重ねとしての現在が自分である。ここで我々は問う。過去がなかったならばどうかと。過去が事実ではなかったならばどうかと。過去というものが、ただの想念ないしは想像力の産物でしかなかったならばどうかと。――しかし、実際そうである。過去や記憶というものは維持されている想念でしかない。そんなものは放棄してしまえ。 過去がないとき、現在しかない。それは、永遠に現在である。我々の新しい意識は過去の産物ではなくなるだろう。現在すなわち存在... -
悪癖の置き換え――例としての湯治
「長年瞑想しているが、私には明らかに進歩がなく、依然として霧の中を彷徨っているやに感じられる。これは私の運命の限界なのか、あるいはそのような運命の限界が各々に存在するのか、もし存在するのであれば、私がこれ以上同じように瞑想をしていても何も変わらないままではないか」といった趣旨の疑問をある人からぶつけられた。私ならば、このようないかなる想念とも関わらないため妨害を受けることがないのだが、この方はまだ魂と接触しておらず、融合が先の段階であるため、一々、マインドが作り上げる自我... -
愛のマスター
人間の成長は他者に対する態度と、彼らに対する影響によって決まることが分かる。このようにしてグループ意識への回帰が引き起こされ、カルマを生み出したり相殺したりする。 アリス・ベイリー「魂の光」p.385 人間は通常、他者に対してどのような態度であるべきかを重視する。それも重要ではあるが、他者とは何なのか。それは、彼や彼女の肉体であり、そのパーソナリティーである。私は、形態様相を無視するように訴えかけたい。グループ意識すなわち非分離の意識の秘訣は、非リアリティーの無視にある。私は、誰...