瞑想– category –
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女神
世の中で、人々は責め合っている。自我たちは非難し合っている。誰もが何かと対立し合っている。こうして皆、自分を養っている。神は真逆である。全部許す。すべてを愛す。すべてを慈しむ。誰をもやさしく包み込む。人々は神を父になぞらえるが、私の瞑想ではしばしば母に感じられた。私は母性を知らずに育ったが、内なる女神は真に母だった。波動は言葉で表現できない。しかし内なる母が優しいことには違いはない。柔らかく、美しく、優しい。怒りの神ではない。裁く神、脅す神、怖がらせる神でもない。人間とは... -
暴風域と台風の目
動機があり、その動機において何がいけない、何がよいという価値観があり、それに沿った想念の力みと抵抗がある。これを自作自演と呼ばずして何と呼びうるか。いかにしてその馬鹿馬鹿しさに人を白けさせることができうるか。「政治というファミリー・ビジネスを云々」と誰かが息巻いていたが、まず、己がファミリー・ビジネスだと気づいてもらいたい。自我は自作自演で成り立っている。「私の考えでは」とか「私の意見は」などと言うが、考え、意見がなかったらどうなのか。あるいは、「私のもの」として同一化な... -
物と者
我々の神のパーソナリティー的な側面にはいくつかの名前がある。秘教徒はサナット・クマラと呼んでいるが、惑星のロゴスである彼の別名もまたいくつかある。「大いなる犠牲」であったり「終わらぬ真夏の青年」であったり……。 昔、多忙で瞑想がおろそかになった事があった。睡眠もとれていなかった。つい、ソファでうたた寝をしていると、内なる神に「起きろ」と言われた。それで起きてそのまま瞑想に入ると、目の前に「物」と「者」という漢字を見せられ、どちらも「もの」と読むと言われた。それは知っていると答... -
神に選り好みなし
内観。それは内感を発達させ、ついには観照が支配し、内なる神が自分になる。偽我は錯覚を乗り越え真我になる。私と会って話をしたい、瞑想の指導をしてもらいたいと仰る。長く人間に生きすぎて、長く偽りに支配されすぎて、教えられる者、教えを乞う者、霊的な利益を獲得せんと欲する者へと堕し、その弱さや弱気ゆえに、至高の己を忘れている。見える肉体や、意識という画面を通して見る映像世界や、特定の人間としての自分という想念に耽溺するあまり、神ではなく、誤解した神が自分になっている。私に会いたい... -
吸う息、吐く息
一つの生命がある。これはエネルギーである。これは偏在にして実在である。これは不可分であり、どのような形態の背後にも存在し、生命なくしていかなる表現体も存在しえない。個人という錯覚つまり想念ではなく、普遍的な生命の流れに融合することが人間の瞑想である。通常の人間は、与えられた命、与えられたエネルギーを、彼や彼女といった条件づけられた表現体を通して誤用し続けている。流入するのは普遍エネルギーだが、流出するのは個人に色づけられた分離のフォースである。個人が純粋ならば、流出するフ... -
ギフト
義務 霊的に生きる前に、肉体をこの世で維持する必要がある。瞑想に集中したくても、我々はしばしば貧乏である。また病気である。肉体の痛みを堪えつつ、精神の疲弊に持ち堪えつつ、過労に身を投じ、蓄えなどないも同然で、自身や周囲を懸命に養っている。多くのエネルギー、多くの時間を費やし、生の活動や焦点が、肉体と精神の安定を守るための戦いと化しており、それを強いられている。いつの時代も民は苦しんでいるが、我々は民であり、搾取される側であり、世界は不公平かつ理不尽であり、不幸のあまり、生は...