瞑想– category –
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瞑想と雑念
何年瞑想しても、雑念に振り回されて集中できないという問題について。本質をつくために逆に質問する。なぜ集中しないといけないのか。なぜ雑念に振り回されてはいけないと思うのか。思っているのが個人だと分かるか。問題とみなしているのが自我であり、それが個人的な感想だということが分かるか。他人や書物に感化されて、霊的な何かを求めており、それを入手するために瞑想しようとしており、霊的な獲得のために雑念をどうにかしようとしている。これが初心者の自我瞑想である。これは瞑想ではない。何年かけ... -
記憶の住人
例えば記憶喪失。彼は私を覚えておらず、お前は誰だと言う。本当に覚えてないのか問いただす私に対し、おおらかだった彼女が冷たいものの言い方で私を払いのける。彼や彼女は今や別人である。彼が子供時分からの付き合いであれ、彼女がかけがえのない最愛の伴侶であれ、他人だと言われるのである。ここに、突如としてかつての関係性に終わりが訪れる。 私が知っていた者はもういない。いるのに、いない。これは死だろうか。肉体を維持した死だろうか。死んだのは記憶である。つまり人格は記憶の産物であった。この... -
魂意識
「魂は、性質上、グループ意識であり、個人的な野心や個人的な関心はなく、パーソナリティーの目的には一切興味がない。イニシエートとは魂である。イニシエーションは、パーソナリティー内の霊的人間が、魂の能力、魂の関係、魂の目的と共に、自らが魂であることに気づく過程である。人間がわずかであれこれを認識した瞬間、彼が意識するのはグループである」とイニシエートは語っている。ここで述べられているイニシエートもしくはイニシエーションは、最初のいくつかのイニシエーションに関するものであり、そ... -
船路
すべてはエネルギーであり、フォースである 意識的であれ無意識的であれ、我々は絶えずフォースと接触し、それに包まれ、それによって動かされている。その中で人間は、やがて霊的なフォースを見出す。それは魂のフォースである。 最初に驚くのは、自らの形態ないし個体に注ぎ込む魂のフォースであり、この独特なエネルギーは、それまで知覚してきたどのフォースよりも精妙であり、良きものであり、自身が従属し、融合すべきものであると理解するようになる。こうして、"彼は取り除かれる"。かつて彼は三重のパー... -
フォース
見ていること、気づいていること、離れて捉えていること、これが同一化を防ぐことであり、統御である。最初は意識的であっても、やがて自動的になるだろう。瞑想後、すぐに自我に戻るという場合、この気付きが途絶えている。目を開けて見える世界の住人という想念に屈している。そのため、自分が行為しているという危険な感覚を余儀なくされる。行為ではなく観照である。諸体のフォースに条件付けられるのではなく、フォースをエネルギーによって統御することである。このエネルギーが生命であり真我である。個人... -
土台
土台のない家は壊れるだろう。自我は、そのような家である。すぐ飛ばされるし、脆く崩壊する運命にある。そこで自我は、特定の信念とか、誰かとの絆とか、お金や権力とか、この世の何かで土台を構築しようとする。それが人生だと思われている。弱さから強さへ、不安から安心へ、不幸から幸福へ、自身の運命を切り開くことが人生だと言われている。つまり恐怖から逃れることが人生になっている。誰も恐怖自体を扱わない。恐怖をかき消す一時的な何かを求めるだけである。そこで、自分の土台とは何だろうか。この問...