瞑想– category –
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覚者を越えよ
魂の報酬 霊的な合一は、人間の苦闘に終止符を打ち、苦しむ能力をなくし、絶えることのない至福を享受させるに至る。それは分離がなくなるからであり、すべてのすべてが美しく愛おしくなり、地上に神の王国は復興され、その王国へ一人でも多くの兄弟姉妹を導くことだけが意志にして喜びとなる。しかし、合一まで至る者が極めて稀であることもまた由々しき事実にして謎である。いったい、なぜであろうか。到達を阻む原理を、我々は自身の態度に見いだす必要があるにちがいない。 神性の外部投影 霊的探求において、... -
苦痛は至福への門
イニシエーションの道において苦痛の大部分が打ち消される。それは、イニシエートが苦痛を避けようと努力するからではなく、望ましくない接触に対する形態の感受性が消え去り、それにより苦痛もまた消え去るからである。苦痛は形態の守護者であり、質料の保護者であり、危険に関する警告を発する。苦痛は進化過程においていくつかの明確な段階を示し、魂が自らを質料と同一化するための原理に関係している。この同一化が止んだとき、苦痛と病気、そして死もまた、弟子を捕える力を失う。魂はもはやそれらの要求に... -
アシュラムの波動と大師の波動
質問:様々な波動について ジュワル・クール覚者は、魂の波動と区別して、アシュラムの波動や大師の波動に接触できるようになると述べていますが、あなたの記事における「魂の波動」とは具体的にどういうものを指し、アシュラムの波動とはどう異なるのでしょうか? さらに、アシュラムの波動と個々の覚者(大師)の波動はどのように異なるのでしょうか? これらの記述が、私が確認した限り、これまでの記事には見つかりませんでした。 さらに、こうした波動の概念が、他の霊的な書籍や覚者の教えに見られないのは... -
意志に定むる魂の弓
魂の発見以後 魂を見出した後は、魂として存ることが目標になる。魂が新たな自分であるためには、マインドの活動を滅し、存在そのものへの自然な集中に意識を焦点化し続ける必要がある。これは、融合を安定させるための時期であり、これにも通常は何年もかかる。この時期が長くなるか短くなるかは、魂に対する真剣さに依存する。 前の記事で、意図的に「気づきに引き戻そう」とするならば心の強化になると書いたが、この段階の内なる存在への意識の引き戻しはその逆で、心の弱体化にしかならない。まず、本物――ブ... -
瞑想は、あなたの努力とは無関係である
瞑想は努力でも人格磨きでもない あまりにも熱心に、精力的に、猛烈に、霊的な生活に励まないようにしなさい。霊的な生活とは存在の状態であって、達成の状態ではない。それは、正しい方向を向き、そちらに方向づけられている状態であって、ある基準に達しようという苦痛に満ちた劇的な努力ではない。……我が兄弟よ。どうして自分自身についてそれほど考えるのですか。「悪い自分だけでなく、善い自分も排除して、キリストだけが見られ聞かれるようにしよう」という言葉を自分自身に対して引用したことはないのです... -
覚者の言葉が響いても、誰も悟らないのはなぜか
新時代の悲劇 かつてこれほど多くの人々が自己探求に心を開いた時代があっただろうか。書店には精神世界の書籍が溢れ、覚者の言葉は広く流布し、瞑想や霊的な探求が一般的な関心事となった。しかし、もしこの時代においてすら、真に達成する者がまず存在しないのだとすれば、何か根本的な誤謬が存在していることは疑いようがない。 多くの者が覚者の書を貪るように読み、数え切れぬほどの金言に心を打たれ、それを糧にさらに百冊の書を読み漁る。熱烈なまでに到達を切望し、日夜瞑想に励み、求道の歩みを止めるこ...