瞑想– category –
-

愛のマスター
人間の成長は他者に対する態度と、彼らに対する影響によって決まることが分かる。このようにしてグループ意識への回帰が引き起こされ、カルマを生み出したり相殺したりする。 アリス・ベイリー「魂の光」p.385 人間は通常、他者に対してどのような態度であるべきかを重視する。それも重要ではあるが、他者とは何なのか。それは、彼や彼女の肉体であり、そのパーソナリティーである。私は、形態様相を無視するように訴えかけたい。グループ意識すなわち非分離の意識の秘訣は、非リアリティーの無視にある。私は、誰... -

死にゆく猫
私は運転しないから基本的に車では助手席に座っている。昨日、高速を下りたあたりで猫が轢かれていた。私は見ていないが、運転していた者が動揺していた。「まだ生きてるよ。誰が助けるの」と言っていた。後ろからクラクションが鳴らされたため、動揺していた者もそこを過ぎ去らねばならなかった。 私はこの世界を現実だと見なしていない。人々における全ての問題の根底には、この世界が自身にとって唯一の世界であり現実であるという態度がある。私は個人を放棄したため、同時に世界も放棄された。それは重要な意... -

恐怖と光のテクニック
恐怖はイリュージョンである。この言葉は暗記しておくか、忘れっぽい人は腕あたりにタトゥーを入れておくといいだろう。そのくらい覚えておくべきものである。瞑想中の恐怖について質問があった。我々の学びは霊的なものであり、それは物質から霊へと意識を向かわせる進歩に関する秘教である。これとは逆の秘教が存在し、真の黒魔術と、その道を辿る弟子やイニシエートや覚者のような者たちが存在するのも事実である。天使と悪魔といった概念でその違いが表現される場合もあるだろう。書籍などから彼らについての... -

真の平和の復興
意識が私の中に起こるときだけ世界は存在する。 ニサルガダッタ・マハラジ 瞑想は、意識に先立つ私に到達させるものである。さまざまな霊的意識が存在しうるだろうが、どのような意識の背後にも生それ自体が存在している。これだけが真の意味で原因である。672夜でしばしば原因の世界と呼ぶものは、今述べた原因の後の世界と関係している。つまり、我々は客観を見るが、その意味において客観の原因が存在すると言っているのであり、真の意味においては、客観と主観の双方の背後に生それ自体が存在している。ラマナ... -

惑星意識としての奉仕の科学
私は個人と関わりを絶っている。個人という感覚に気づいてさえいない。この新しい意識領域においては、個人や個人にまつわるどのような話も埒外である。ゆえに、常に喜びに満ちており、それが兄弟姉妹に向けられるときは愛となり、内に深く向けられるときには至福となる。人間の経験の世界においては、恐怖と苦悩と悲哀が渦巻いており、あまりに危険に満ちているように思われるが、私はそのような領域と一切関わりがない。私は人間とではなく、その背後の真の自己であるものと完全に融合している。したがって、い... -
自分を特定の個人だと思っているということは、自分が個人を動かしている主であり、個人に関する決定や実行といったコントロール権、あるいは自身が下したとみなしているそのような自由意志に責任がある主であるという感覚を持っており、このような無知の態度が、地上に地獄を作り出している原因であることに我々は気づく必要がある。簡単に言うと、誰が行為者なのかという点に大きな錯覚がある。 肉体を動かしているのは、肉体以外の体を通ったエネルギーである。人間の場合、アストラル体とメンタル体を通ったエ...

