瞑想– category –
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第一イニシエーション
秘教徒が述べる第一イニシエーションは、肉体の統御と関係しており、霊的な道に対する自我の意志が確固とした揺るぎのない点にまで到達したことを記すものである。彼の内側で、個人の欲求ではなく、霊への欲求が勝ったことを意味する。これは簡単な説明である。彼は普通の人の生活に戻れないことを理解する。何度も失敗し、戻ろうとするかもしれないが、戻れないことを経験する。かつて親しかった人々との間にはもはや興味と認識に一致点は見つからず、孤独な霊の道しかなくなったことを認識する。それは基本的に... -
新時代の芸術
思考内での葛藤 瞑想にて、思考が思考をコントロールしようと思考する。これを完全に無意味とは言わないが、通常は無意味である。簡単に言えば、これは自我の動きの一部である。ヴィヴェーカーナンダの言葉を借りれば、「もしマインドを慌ただしく表現しようとする変異があり、ヨギがそれをコントロールしようとしているならば、そのコントロールそのものが変異であろう」。この想念の支配欲そのものが障害であり、低位マインドの動きと変異そのものであることを初期段階では表している。 これは、人間の低位マイ... -
難しい瞑想
瞑想を阻む要因 瞑想方法が分からないという挫かれた理想への苦渋に満ちた反応は次のことを意味している。 動機が自我の欲望であるため、波長を合わせているのは自身が描いている欲望に対してである。リアリティーと自身の欲望の区別がつかない状態。 結果として、自我が脳に対して無意味な負荷をかける。その象徴的な態度が努力や真剣さである。実際のところ、努力とはエネルギーの知的な方向づけであり、真剣さとは確信と知恵がもたらす自然の集中である。それらを表す言葉はリラックスである。 自我の瞑想は、... -
アルタ・メジャー・センター(Alta Major Center)
頭部の二つのチャクラを開く方法は何か。 それを開く準備が整っていない段階では、人はその種の想念や欲望の影響を受けやすくなる。一般に、頭部の主要なチャクラは 三つ であると考えた方がよいかもしれない。しかし、合一の前段階で振動を開始する第三のセンター(アルタ・メジャー・センター)については、あまり語られることがない。 このセンターは、後頭部の延髄付近に位置し、頸動脈腺を調整する重要な役割を持つ。ただし、このセンターを開こうと意図的に努力する必要はない。それは、霊的な進化に伴い、... -
真我への服従
瞑想が教える超然は、日常の中でも維持されねばならない。それは絶えざる無関係であり、絶えざる真我との同一化であり、絶えざる観照であり、絶えざる孤立した統一である。個人的な主張、不平不満、出来事に対する反応、これらからの自由である。それは真我による三界のフォースの全的な統御である。 瞑想が本当に有用なのか時々分からなくなる。疑念がわくのだ。 有用どころか信用できるのは瞑想のみである。続けるうちに至福が確信をもたらす。 なぜそう言えるのか。 自我よりも真我の感覚が強くなるから。正し... -
瞑想問答
なぜ人は瞑想するのだろうか。 何か問題があるのだろう。何かを求め、また何かを恐れているのだろう。 瞑想で、そのような個人の問題は解決するのだろうか。 解決する。ただし、個人としては解決しない。彼は、自分が個人ではない存在として解決を見る。それは、「どのような問題とも関係がない」という感覚が発達することによってである。 その感覚は誰の感覚なのか。 誰ではない。個人だった者が、個人を成立させていたものと関わらなくなることで、個人ではなくなるだけである。 その「個人を成立させていたも...