瞑想– category –
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瞑想に報酬を求めると失敗する理由
瞑想の報酬とは何か 瞑想の実践がもたらす意識の変容は、個人的な報酬の獲得とは全く意味が異なる。多くの瞑想実践者は、幸福や平安、世俗的ないしは霊的成功といった個の利益を求めて瞑想を行うが、これは人間の認知バイアスに根ざした誤謬である。 心理学が言う「脱自己中心化(decentering)」の概念は、自己を個別の主体としてではなく、より広い認識の文脈の中で捉えることを意味するが、瞑想の本質も、より高い段階における自己の脱中心化にある。しかし、個人の報酬という枠組みで瞑想を捉えることは、認知... -
瞑想できる環境の希少性
魂を認識し、錯覚を払い、一体化と融合の境地へと至るまで、自己探求者の世界は暗く、苦しく、辛いものである。ゆえに、そのような暗夜にあって、今日も瞑想はままならず、心は重く、進むべき道も霞む。瞑想などやめてしまおうか。私に到達できるはずもない。そんな嘆きが、夜の静寂にこだましている。しかし、近視眼に陥ってはならない。 誰も一朝一夕に稀なる意識に入れるわけではない。そこへ至るには、時を要する。忍耐が試され、自己感情の放棄を含めた無数の諦めをも受け容れねばならない。日々、一歩一歩、... -
精神世界と自己探求の本質
序論 現代において、「精神世界」や「自己探求」という言葉は広く使われている。しかし、これらの概念はしばしば誤解され、商業的な成功や個人的幸福と結びつけられることが多い。その結果、本来の精神的成長の道筋が見えにくくなっている。本論では、「精神世界」や「自己探求」の本質を明確にし、それらが歪められる過程を分析する。さらに、意識の進化に必要な識別力を育む方法について論じる。 第1章:精神世界と自己探求の正しい理解 1. 精神世界とは何か? 精神世界とは、個人の意識を超えた広範な意識領域... -
思考と思考の合間なるもの
この数日、朗読の動画をいくつかあげてもらった。興味深いことに、「思考と思考の間」についてマハラジもマハルシも語っている箇所があった。クリシュナムルティも著書で同じようなことを語っている。 https://www.youtube.com/watch?v=yjOXRfBz6Po&ab_channel=%E7%9C%9F%E5%A4%A9 マハラジ:思考と思考の間を見なさい。 マハルシ:純粋な「私」は、二つの想念の合間に体験される。 クリシュナムルティ:思考と思考の間にそれは在る。 これを理解することで、"合間なるもの"と融合することができる。しかし、"... -
見習いの弟子と浄化のプロセス
秘教的な道において、「見習いの弟子」と呼ばれる期間がある。それは魂を見出す前の期間と、自らの波動を魂の波動と一致させ、接触の障害にならないよう低位三諸体を精製する期間に分けることができる。この期間を象徴する言葉は「浄化」であり、それは霊的成長を志す者にとって極めて重要な局面である。 この時期、従来の自己認識や価値観が根底から揺さぶられ、次々と試練が個人へもたらされる。多くの人々はこれを「悲惨なまでの苦痛」として体験するが、それは一時的なものであり、やがて魂との融合が確立され... -
寂光霊智
瞑想は、具体の思考を離れ、抽象の思索へ移りゆく魂の道理なり。その極みに到らんと欲せば、思考の沈静を要す。これを知るとき、自然に心の燈は静まり、知るべき境へと至るものなり。その境こそ、ブッディと称さるる霊智の領域にして、眉間の上部へ意を集め、またはその眼をもって眺むるにより、真の知見へ導かるるものなり。斯くして直観の門、必然の理により開かる。 凡そ、初学の者は瞑想を拒み、書を読みて理を求めんとす。これは、形而上的遊戯に等しきものなり。されど、斯くの段を過ぐる頃には、静寂を好...