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人でなし
外的な物質界でのつながりが切れることは、最も過酷ではなく最も一時的なものである。死そのものが大いなるイリュージョンの一部であり、私たちが周囲をヴェールで覆ったために存在するにすぎない。……死はすべての人に訪れるが、弟子たちの場合、通常見られる苦悩やグラマーはないはずである。過去を振り返らないようにと言いたい。その方向にグラマーと苦悩がある。大多数の人々はそちらを見ており、そうすることが最も抵抗の少ない線である。しかし、あなた方はそうすべきではない。 魂の高みへと達しなさい。そ... -
死と劇化
結局のところ、我が兄弟よ、無私無欲に生きようと努めたとき、私たちはフォースを正しく分配するようになり、それが調和的な関係につながる。見習いの弟子にとってこれは、物質界において無私の活動が課されることを意味する。受け入れられた弟子にとっては、すべての利己的で自己中心的な情緒から自由であることを意味する。こうした情緒のうち、自己憐憫と自己劇化はその顕著な例である。イニシエートにとっては、利己的な考えが全くなく、エゴの思考において劇化がないメンタル的な態度を意味する。 アリス・ベ... -
真の関心は無関心
「愛情を受けて育つことがなかった」ことを言い訳に、非行や悪行に憐れみの目を持とうとする風潮がある。そのような者ほど、愛情とは何かを理解したがらない。愛情と愛はパーソナリティーと魂ぐらいに違うものである。愛情とは、対象を「どうにかしたい」という利己主義を含蓄している。多くの知的な大人がこれを理解できずにいる。いわゆるグラマーが理解できないのは、情緒的なフォースが強力だからである。よって、愛情という名に隠れた自らの腐敗を見ること、認めることを「情」が遮り難しいのである。 花に実... -
青い川
「川のない生活はお辛くありませんか」と女性は言った。歳は四十ばかり。短い黒髪に黒縁の眼鏡。大学で福祉を教えているという。新たな棲家に落ち着いた我々が、初めて彼女と相見えたとき、交わされたのは「川」の話であった。 この地は四方を山に囲まれ、その緑は目に染み入るほどに美しい。されど、水の流れは希薄であり、身近な川は枯れ果てている。ゆるやかな流れの美しさを求めるならば、車を駆るよりほかにない。「よい川をご存じだろうか」。彼女はひとつの渓谷の名を挙げた。正確な発音には覚束なさを感じ... -
見るものに私を知り、すべては私になる
何かが在るとは、単純に解釈である。早合点の解釈や常識に安心を求めるのではなく、あなたの外に、一つでも何か別のものが在るという現象に目を凝らしてもらいたい。あなたに苦しみが在る。あなたと苦しみは喧嘩中であり、互いを憎み、排斥し合うことを望んでいる。マインドよりも上の目で見ようとするとき、あなたと、その苦しみは、全く同一のものである。もしこれが本当に分かるならば、対立しようがないだろう。分離意識のときのみ、対立という錯覚が可能なだけで、すべてが自分であることを見抜きさえすれば... -
喧嘩中
瞑想者とは、瞑想に救われる者である。瞑想を通して、低位我は高位我に救われ、意識は自身である高位我へ焦点化されるようになり、低位我との関係はそこで打ち切られる。瞑想を始めた時の者はいなくなり、引き上げられる。皆、何かしらの理由で瞑想を始めるが、それは通常、自分や人生への不満や絶望や苦痛といった、救われねばならない状態からのものだったと思うのである。この瞑想を始める者は、やがて瞑想に救われ、どのような苦悩も無くなり、すべてが美と喜びに変わったことを知るだろう。どのような人間も...