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青い川
「川のない生活はお辛くありませんか」と女性は言った。歳は四十ばかり。短い黒髪に黒縁の眼鏡。大学で福祉を教えているという。新たな棲家に落ち着いた我々が、初めて彼女と相見えたとき、交わされたのは「川」の話であった。 この地は四方を山に囲まれ、その緑は目に染み入るほどに美しい。されど、水の流れは希薄であり、身近な川は枯れ果てている。ゆるやかな流れの美しさを求めるならば、車を駆るよりほかにない。「よい川をご存じだろうか」。彼女はひとつの渓谷の名を挙げた。正確な発音には覚束なさを感じ... -
見るものに私を知り、すべては私になる
何かが在るとは、単純に解釈である。早合点の解釈や常識に安心を求めるのではなく、あなたの外に、一つでも何か別のものが在るという現象に目を凝らしてもらいたい。あなたに苦しみが在る。あなたと苦しみは喧嘩中であり、互いを憎み、排斥し合うことを望んでいる。マインドよりも上の目で見ようとするとき、あなたと、その苦しみは、全く同一のものである。もしこれが本当に分かるならば、対立しようがないだろう。分離意識のときのみ、対立という錯覚が可能なだけで、すべてが自分であることを見抜きさえすれば... -
喧嘩中
瞑想者とは、瞑想に救われる者である。瞑想を通して、低位我は高位我に救われ、意識は自身である高位我へ焦点化されるようになり、低位我との関係はそこで打ち切られる。瞑想を始めた時の者はいなくなり、引き上げられる。皆、何かしらの理由で瞑想を始めるが、それは通常、自分や人生への不満や絶望や苦痛といった、救われねばならない状態からのものだったと思うのである。この瞑想を始める者は、やがて瞑想に救われ、どのような苦悩も無くなり、すべてが美と喜びに変わったことを知るだろう。どのような人間も... -
いわゆる悪の華
ぼちぼち忘年会を始めているのですが、行く前は「嫌だなぁ」という気持ちです。そして周りに合わせる程度にお酒を飲んでいると、ついつい楽しくなってきて、強いお酒を人一倍飲んでしまい、翌日はとても苦しい二日酔いを体験することになります。何と言うか、うつ病のような気分に落ち込んでしまうのです。あなたは以前の記事で、二日酔いのようなものは簡単に治療できると書いていた記憶があるのですが、どうすればいいのか私に理解できるように教えてください。 二つの方法がある。二日酔いの苦痛を味わわせてい... -
至るという病
至る方法はあるのでしょうか。ないのでしょうか。ないのなら、人間は途方に暮れます。 途方に暮れる人と真のあなたは何の関係もないから問題ないのだが、これが分からないという無知が問題を作っている。「至る方法」と言うとき、あなたは内ではなく外へと向かう。つまり、低位我で何かを行っても、それは低位我の世界に属し、よって低位我を拡大するだけであることを、少なくとも理論的には納得しないといけない。それより、「至る方法」が必要なのはなぜなのか。何をあなたは恐れているのか。何から逃れんとして... -
第三の目と魂の目
「我々にできることは気づいていることだけである」とあなたは仰いました。そして私は気づこうと心がけました。そしてそれが間違いであることに逆に気づきました。なぜなら、そこには新たな努力があり、必然的に葛藤や抵抗による苦痛を伴わねばならなかったからです。そこで、「気づこうとすること」と「気づいていること」は異なる状態だと結論づけねばなりませんでしたが、いかがですか。 そのとおりだが、少し浅い段階で「結論」へ逃避しようとしている。次に見るべきは、「気づこうとする行為」によって生じた...