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希望なき者
個人は、絶望的である。だがそれでよい。個人は、その性質の絶望性をいつかは知らねばならない。 ところが現実には、個人は希望に生きている。未来を信じ、向上を信じ、探求を信じている。そして自由意志を信じている。そのような希望は、個人の背後にある実在を知らぬままに抱かれる個人の私物にして無知の産物であり、実在がまだ臨んでいないために、個人は個人で在り、且つ個人で未来を描くことしかできない結果でしかない。 その状態で絶望が訪れれば、個人は壊れる。自殺とは、背後の光が訪れていない個人に... -
真の平和
道の終盤で、弟子は、全ての根本的な苦痛の原因が、分離感にあることに気づく。この気づきが融合へと導き、一体感の境地を弟子に教える。私の中に全てが在ったのである。全ては私だったのである。これは文字通りである。いかなる二元も、そこでは私の中に愛として一つになる。天上的な至福の鍵は、私の中に全てを私として知ることにある。通常、一体性は誤解されて認識されている。つまり、世界の中の全てのものとの一体性、というものである。私の体験では、世界というイリュージョンを認めた上での一体感という... -
退路断たれる
自我や心は、性質上、自身を欺くものであるため、関わってはならない。また、それらと自分を同一化せざるをえない長い初期段階においては、自我という自身を条件づける力の弱体化がいずれ起こることを知り、日に一時間ないしは二時間、瞑想を続けるよりほかにない。どういう瞑想がいいというものはなく、どのような瞑想が瞑想ではないかに気づくことだけが重要である。周期的に強弱を含み送り出されてくる上からの波動とすでに接触しているならば、諸体の波動をその波動と一致させることが目標であり、それが調和... -
両刃の剣の道――霊的な力を持つ危険
なぜ両刃なのか 以下のジュワル・クール覚者の文章における「両刃の剣」という用語の意味について解説する。 ひとたび魂の意識をもって生活し、(このような表現が許されるならば)あの「高所」に随意に達することができるならば、形態性質の浮き沈みが彼に影響を与えることはなくなる。そのとき彼は、物質生活の界層から魂の領域へと続く狭い両刃の剣の道に気づき、もしその道を着実に辿るならば、その道は変幻極まりない感覚の世界から、明るい日光の中へと、リアリティーの世界へと彼を導くということを発見す... -
気づかないでいよう
行為者感覚の消失 融合した者は、いわゆる「行為」に対して、ただ気づいているだけである。対照的に、融合以前の探求者は、常に「それをしているのは自分だ」という思考の中に生きている。彼の注意は行為そのものよりも、行為する自分という観念に吸い取られている。 魂として在る者――そのような意識には、行為者という思考は存在しない。「自分」とは記憶や知識に根ざした思考の束であり、意識それ自体は、いかなる出来事とも無関係である。そのため、魂の意識には、行為も経験も出来事も存在しない。言い換えれ... -
知性という障害
学者との対話 「理解とは分析と結論の産物ではないでしょうか」と或る学者は言った。彼のような知性は、思考を通じて理解しようとする習慣が染みついている。しかし霊的な真理は、思考を超えた領域にあり、思考を通じてアクセスできるものではないのである。 「しかし、歴史上の霊的指導者たちも行為や実践を重視していました」と彼は続けた。「もし観察だけで十分なら、なぜ彼らは教えを残し、何かを『する』ことを説いたのでしょうか。思うに、霊的な成長には、『内的な気づき』と『外的な実践』の両方が必要な...