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瞑想の危険回避
短い質問であるためそのまま掲載する。 瞑想の際に、マインドと脳の瞑想という危険な状態を回避するためにはどうしたらいいのでしょうか。 また、瞑想では感情などに集中しているのとボーッと眺めているようなあり方、どちらがいいのでしょうか。 これはおそらく、ジュワル・クールの言葉の引用に関するものだろう。それは以下である。 瞑想するのは魂である。瞑想は積極的な活動であり、消極的な状態ではない。瞑想の名の元に行われている活動の多くは危険で無益なものである。なぜなら、統御しようとしているの... -

愛の外道
瞑想に熟練するにつれ、様々な波動と接触するようになるだろう。解説するとき、例えば「魂の波動」という言い方をする。言葉にするとき、すべてが事実ではなくなることに心苦しさを感じる。弟子が主に扱うのは魂の波動であるが、そのような分類をするのはマインドである。実際は私自身であり、「私と魂の波動」といった考え方には、強い苦痛が伴うものであり、いかなる分離もあってはならないことを覚えておくべきである。前の行を書いてから、しばらく時間が過ぎていたようである。言葉をまさぐるうちに、入って... -

聖なる苦痛
本物と偽物の違いとは何か。実在と非実在の違いとは何か。我々は肉体を自分と思い、肉体が存在していることを認めている。では、肉体を見ているのは誰なのか。肉体を感じているのは誰なのか。肉体だろうか。 肉体が存在していると言う人は、肉体に意識を焦点化しているだけである。その結果、肉体意識である。しかし、肉体あるいは肉体感覚は、意識によって知られているものではないのか。最初に真我が在る。次に、真我である霊が、どのような形態と交わったかで、意識が決定される。意識も肉体形態も、順序で言え... -

全能の力
人間は、どこかが不調である。どこかが痛く、何かが苦しい。身体的であれ精神的であれ。大なり小なり、人間はみな病人ということになる。医療が巨大産業になるはずである。子供ですら、不調を治すのは病院だと思っている。大人は病院を選ぶ。あそこはヤブ医者で、別のところには名医がいると言う。あるいは知名度やイメージで病院の信頼性を測る。いずれにせよ医療従事者に頼る。全体的に見て、医療機関が処方する薬、ドラッグストアが販売する類いの日常的な薬、あるいは違法薬物、なんであれ薬を常習的に飲み続... -

閉じた目が開かれるとき
目を瞑ることと、目を開けることにおいて、意識に差が生まれるのは何故だろうか。瞑想で高位の意識に入る者も、瞑想が終わり日常に戻るとき、否応なしに自我的になるのは、目を開けたときに何を間違ったからであろうか。ここは誰もが理解しなければならない重要な点である。通常は、目を開けると見えるものと同一化し、つまり内向きであった意識が、見えるものの実在性を認める脳意識の自動的な習慣によって、外向きの意識に転換される。このようにして分離が始まり、瞑想中の個の喪失から、再び個が活動的になり... -

内なる平和運動
平和運動をしている人自体が平和ではない様子を見かける。反戦を唱えたり、平和を乱す言動に対して抗議やデモを行う人自体が精神的に不安定である様子を見かける。ニュースでは批判が仕事であるかのようなコメンテーターと、それに賛同したり反対したりする視聴者がおり、その双方においてはいかなる平和もない。裁く者は裁かれるだろう。分離する者には理解も愛も訪れないだろう。我々は、自身が本当は平和を知らないことをいつかは認める必要がある。自らの気の乱れにいかようもなく翻弄されており、悲しいばか...

