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葛藤と調和
人生の多くは葛藤であり、誰かや何かとの比較であり、競争と闘いであり、チャレンジとサバイバルである。人が成熟したとき、これらはただの苦痛になるが、そういうものだとされている。人生とは人が生きると書くが、これが不幸の原因である。人生は行為であり、行為の主は私である。私は分離した個我であり、独立した単位である。行為すること、努力して成し遂げること、自身の足跡を残すこと、歩みをもって自己の存在意義を弁護すること、このような歪曲された目的のために人は生きており、これらいずれの行為も... -
生の喜びは今
朝起きる。夢のない魂の界層(メンタル界の高位亜界)から、夢を見るアストラル界を経て、やがて物質界での目覚めが生じ、我々の世界、特定の自分という物語が記憶を通して再開される。このとき、起きたそばから喜びに満ちる者は稀である。今日は楽しいことがあるから嬉しいと言うならば、それはアストラル的な反応であって、魂の喜びではない。もう六時か。職場へ行く準備をしないといけない。子供の弁当をつくらないといけない。起きるやいなや、朝日の美しさも目にとまらず、現実的な話が重くのしかかってきて... -
進歩を超えて
進歩を妨げる要因は、進歩という概念である。なぜなら、進歩は未来の話だからである。時間の感覚は、脳の反応の結果であり、解釈である。最も一瞬にて進歩を可能にするのは、目の前の現在であることに、我々は気づけずにいる。霊的な道や、時間をかけて進歩しゆくといった想念を堅持するならば、現在とは疎遠である。今、目の前に統御されていないフォースが野放しにされている。このフォースが、我々の意識や気分の原因になっている。宝くじを定期的に買う者がおり、彼は買い集めた大量の宝くじを目の前に置いて... -
瞑想と雑念
何年瞑想しても、雑念に振り回されて集中できないという問題について。本質をつくために逆に質問する。なぜ集中しないといけないのか。なぜ雑念に振り回されてはいけないと思うのか。思っているのが個人だと分かるか。問題とみなしているのが自我であり、それが個人的な感想だということが分かるか。他人や書物に感化されて、霊的な何かを求めており、それを入手するために瞑想しようとしており、霊的な獲得のために雑念をどうにかしようとしている。これが初心者の自我瞑想である。これは瞑想ではない。何年かけ... -
記憶の住人
例えば記憶喪失。彼は私を覚えておらず、お前は誰だと言う。本当に覚えてないのか問いただす私に対し、おおらかだった彼女が冷たいものの言い方で私を払いのける。彼や彼女は今や別人である。彼が子供時分からの付き合いであれ、彼女がかけがえのない最愛の伴侶であれ、他人だと言われるのである。ここに、突如としてかつての関係性に終わりが訪れる。 私が知っていた者はもういない。いるのに、いない。これは死だろうか。肉体を維持した死だろうか。死んだのは記憶である。つまり人格は記憶の産物であった。この... -
魂意識
「魂は、性質上、グループ意識であり、個人的な野心や個人的な関心はなく、パーソナリティーの目的には一切興味がない。イニシエートとは魂である。イニシエーションは、パーソナリティー内の霊的人間が、魂の能力、魂の関係、魂の目的と共に、自らが魂であることに気づく過程である。人間がわずかであれこれを認識した瞬間、彼が意識するのはグループである」とイニシエートは語っている。ここで述べられているイニシエートもしくはイニシエーションは、最初のいくつかのイニシエーションに関するものであり、そ...