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魂とマインドの瞑想について
個我を超越した証しである喜びや至福を知る手段として日々の瞑想がある。ゆえに再び、瞑想そのものについて語りたいと思う。一般的な瞑想の定義は、何らかの種子に対してマインドを固定させ続けるといった集中に関するものである。私はそのようなことは一切しなかった。言い換えると、それは真我への直接的瞑想ではなく、自我とマインドが行うことである。次の引用を再確認してもらいたい。 瞑想するのは魂である。瞑想は積極的な活動であり、消極的な状態ではない。瞑想の名の元に行われている活動の多くは危険で... -

喜びについて
ジュワル・クールが或る弟子に対して、喜びについて回顧するよう勧め、三十の意味深き文章を与えた。これを紹介することが有益であると感じるため、ピックアップして列挙し、それぞれに解説を加えたい。というのも、我々が歩む霊的な道は、最初は苦痛に満ちているが、その夜明けには常に喜びに迎え入れられるからである。それは、我々が困難な道を歩みながらも、同時に喜びに溢れ、愛や喜びによって困難が征服されているという意識を達成しなければならないことを意味している。 2. 私はどのような喜びを感知して... -

神に酔う
失敗しても許すのは神だけである。悪いことをして帰ってきたとき、これ以上ない優しさで抱きしめてくれるのは神だけである。この世で裁かれた人を裁かないのは神だけである。この世で助けられるに値しないとみなされる者を助けるのは神だけである。神とは真我であり我々自身であるが、自我にとっての最初の神性、神を表現するものは魂である。彼によって人類は救われる。キリストがその象徴でしかない魂である。このお方とはいつであれ瞑想で出会うことができる。とはいえ、魂はそれ自体で存在できるであろうか。... -

第三の天
女三人寄れば姦しいと言うが、昨日もまた、だれそれの娘が引きこもりであの家も大変だとか、だれそれは車を新型に変えたがうちはまだ旧型で恥ずかしいだとか、だれそれが美しく見えるのは整形手術に余念がないからだとか、本質的に粗悪な精神が作り出す虚構の嫉妬や怒りや批判で色づけられた目眩のするような会話が万華鏡のように展開するのを、下界から遥か高みに飛翔してもなお、飛行機の席の後ろから否応なしに聞かされたのであるが、道を志すような者が決してこの種の会話に加わってはならないのは当然として... -

愛こそが解放の鍵
瞑想が魂との接触を確立するための方法であると考えられることが非常に多いものの、この接触が、マインドの内的な思索的態度、奉仕と愛他に捧げられた人生、低位性質を魂の真の経路にするよう訓練するという決意によって、かなりの頻度で起こるということを、人々はしばしば忘れている。 アリス・ベイリー「新時代の弟子道4」p.170 奉仕と愛他に捧げられた人生は、低位性質を魂の真の経路にするための優れた訓練の一つであり、それが首尾よく進行するためにはマインドの内的な思索的態度が必要である、と言い換え... -

一体性のテクニック
ある複数の方々が困った状況に陥っており、助けを求められた。助けるためには、その過程で私の肉体がいくらか損傷することを覚悟せねばならない類いのものだった。カルマ的にいくらか考えることはあったが、「上の許可」との照合の結果、可能な範囲で助けの手をさしのべさせていただいた。結果、助けることができて喜びを味わうと同時に、肉体的には苦痛を味わうことになった。それは医者が治せる類いのものではなかった。せいぜい、麻酔を打つか、打ちながら安静にし回復するのを待つよう指示されるだけである。...

