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魂の死
例えば、しばらく瞑想すると、純粋な自我意識から退いて、背後の意識に焦点を合わせることができるようになるかもしれない。つまり、個人の苦悩や感覚を知覚することのないひじょうに自由な心地よい意識状態である。私は、いわば苦痛さえなくなればよかったため、そのレベルの意識で満足していた時期がある。しかし、肉体が重傷を負うとき、あるいは大病を患うとき、その意識に入れなくなり、ほとんど自我の意識に戻され、いつもの意識状態であれば治療もしくは超越できる肉体的な痛みや精神的な苦痛でさえ、背後... -
光の糸
我々は、一秒でも不幸であってはならない。なぜなら、自我に焦点を合わせぬかぎり、一秒も不幸にはならないように設計されているからである。これは、自我で生きてはならず、真我で生きねばならないことを示している。分離した肉体意識に生きるのではなく、ひとつの意識、ひとつの命に生きるよう、人生経験つまり葛藤と苦悩を通して教えられている。偽の人生と、真の人生の二つがある。感情や欲求、そして想念と同一化して生きるのが偽の人生である。言い換えると、アストラル体と低位メンタル体に生き、それらの... -
感情物語
怒った人 馬鹿にしていた部下に、馬鹿にされました。 この屈辱的な様子は衆目にさらされた。彼の無能ぶりは日頃から耐えがたかった。上司として幾度となく忸怩たる思いに胸を塞がれてきた。彼はいじられるキャラであり、みなの毒舌な冗談のはけ口であり、同時に、迷惑をかける者、場の雰囲気や局面の機微を察しない者、仕事を覚えない者、努力も反省もしない者、失敗を糧にできない者、間違いを繰り返す者、考えないため仕事を台無しにする者……そのような存在だった。 その彼に馬鹿にされました。 彼に仕事の指示... -
沈黙
人が熟するとき、静けさを求めるようになる。静かであることが心地よいと感じるようになる。静寂という波動に感応できるようになる。それまで諸体の物質は、ラジャスとタマスに支配されてきたが、サットヴァを知覚できるようになり、清浄さに勝る心地よさはないと感じるようになる。こうして人は沈潜し、瞑想という孤立と統一のテクニックにて、不純との交わりを断ち、ゆえに魂を知り、人知を超えたその平和、その至福に沈黙する。全くすべてが美しい。存在するだけで輝いている。なにものに比ぶべくもない。喜び... -
聖語
瞑想もしくは進化過程と呼ばれるものが、様々な物質と深く関わりを持っていることは徐々に明らかになることだが、自身の諸体における粗雑な物質の扱いに対し、その如何ともし難い強力さに対し、途方に暮れてしまうこともあるかもしれない。つまり、自身にはまだ統御できないフォースに対する激しい葛藤と苦悩である。 波動の安定化には時間がかかる。安定化の先には、新しいリズムの賦課が待っており、これにも同じように時間がかかる。このことを知り、効果を性急に求めない着実さがすなわち賢さであることを常に... -
入魂
Ⅰ 映画鑑賞者 映画の中に入り込む人がいる。物語にそって、劇中の人物と同じく喜怒哀楽を味わい、"ハラハラ・ドキドキ"し、泣き、心ゆさぶられ、恐怖し、笑う。応援する人物に敵対する者を嫌い、許せない人物と見なし、その者に不幸が訪れることを願う一方で、わが事のように感情移入している人物には幸福が舞い降りてくることを願う。これらはすべて、脚本家や演出家といった作り手の意図する通りに動かされ、情緒が操作されただけである。操作に成功するほど、それは名作と呼ばれるようになる。映画の鑑賞者は、...