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眉間の波動の質問
それは眉間の疼きが最近弱くなっている気がするのです。私が高校生くらいまで、下手に眉間を意識するとひどいときなど、眉間から上唇のへこんだ部分(いわゆる人中といわれる部分)くらいまで疼きが生じ、その程度も顔が歪んでしまうくらいで、拳で額や鼻やその周辺をたたき、疼きを散らさなければとても我慢できないほどでした。それゆえ最近まで眉間を意識することを意図的に避けてきましたが、Author様から魂の波動とのアドバイスを聞き、今では積極的に眉間を意識しております。しかしながら眉間のエネルギー... -
霊的責務
ある時、ぴたりと自我の活動は止むだろう。我々は、どのような自我のそれまでの動きにも完全に消極的になり、アンターカラナの構築により低位マインドが静まるときに焼き尽くす火が昇ることを知るだろう。完全な活動停止は眠りではない。「それ」は完全に目覚めた新たなる意識である。自我が停止することが、大変な素晴らしい意識を我々に蘇らせることを己で知らねばならない。それは自我の努力が終わったときにのみ可能であり、全的に自我は魂に整列する。こうして妨げるものがなくなるのである。どんな自我も知... -
全体で一つの働き
人間関係について質問があった。答えはその言葉自体が示しているだろう。分離しているからである。どのような個人も存在していない。錯覚に焦点を合わせている限り、あらゆる「関係」は対立構造にある。それが統一に解消されるまでは、真の調和というものはありえない。だから、人間関係で傷ついたり、罪悪感を抱えたり、怒りや恨みや友愛の感情を所有したりすることは自然な流れである。この種の解釈に対しては、それから逃避しようとしないことが肝要である。自我とは、真我からの逃避である。だから自我が見ら... -
我々は知っている
真我探究。言い換えると、それは自我の探究であり、自我拡大である。なぜなら、人は「知らない」と言うではないだろうか。知っているのに、なぜ知らないことにしようとするのだろうか。なぜ自我で瞑想したり、自我で真我実現を求めたりするのだろうか。なぜ、真我であることを否定した状態、「私は自我である」を出発点にしたがるのだろうか。これらはすべて、真我探究が自我に利用されていることを示している。 質問を受ける。質問者は、自分が知らない人だということにしている。私は、質問を受ける者でも、質問... -
天国と地獄
子供の頃、死んだら天国か地獄に行くと誰かが説いていた。いま、私は生きているが天国におり、見えるものが地上だろうが、どこであれそこが天国である。人間の見た目は千差万別だが、同じ意識を生きていると考えられている。人間の意識は「その人」に依存しており、万人が異なる意識に生きている。そのため、各々の意識に沿った道と教えがあるのであって、行き着くところは同じでも、至る過程は意識によってまた千差万別である。 真我は私の意識を天国に住まわせ、一つの命、一つの「共同体」に喜ばせているが、出... -
厳しさに許しを
多くの人が自分に厳しすぎる。価値観と理想に縛られているのである。間違った厳しさは、柔らかさを失わせ、他人への厳しさへと変換させられる。我々に愛がないのは、自分に対する厳しさゆえであり、自分の多くを許せていないからである。あらゆる段階のつまづきは、この自己中心にあることを覚えておくべきである。自分への厳しさは、自己中心だと気づかねばならない。どうあるべきだ、という自我の決めつけや価値観から自由なときのみ、自分も含め、すべてを許し愛することができるものである。価値観ゆえに固く...