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分離を溶かす意識の理
分離意識と融合意識の境界 分離意識と融合意識の狭間を見極めてみよう。本来自然なのは融合意識である。それは何も無理をしていない意識であり、無理をしようとする者すら存在しない意識である。では「無理」とは何なのか。それを理解するには、理(ことわり)に対する姿勢を見直す必要がある。 「ことわり」とは、神秘的に言えば「神の法則」、物理的に言えば「宇宙の秩序を形成するエネルギー」である。エネルギーは万物に浸透し、万物はそれなしには生きることも存在することもできない。この意味で、エネルギ... -
弱い心でいい
https://www.youtube.com/watch?v=0ce1JxES8uo&t=359s&ab_channel=%E7%9C%9F%E5%A4%A9 多難な道を迷い生きれば心は壊れる 人間の心は簡単に弱くなります。摂取する悪い飲食物、諸体に条件づけられた悪いフォース、バランスを欠いた五大元素の影響、これらの習慣と蓄積によって、不健康と不健全が心を脆弱にします。アルコールや薬物は人を鬱状態や廃人のようにし、他者に対する怒りや恨みといった感情的な思考、あるいは満たされない欲望や強烈な恐れを安易に受け入れる習慣は、カルマ的に同じような現象... -
眉間のセンター(チャクラ)の位置
質問:眉間のセンターの位置を教えて下さい 眉間に意識を置くとは、眉と眉の間の位置を指しているのでしょうか? 私の場合、眉と眉の間の一番高い(出っ張っている)骨の位置より、その骨の少し上にある一番低い(凹んでいる)位置、眉とおでこの間にある一番低い部分に意識が集中してしまいます。眉間のセンターの位置はどこにあるのでしょうか? この質問は重要な視点を提供してくれている。つまり、質問者は「眉間のセンター」を肉体の位置で捉えようとしているが、実際はエーテル体に存在することを見逃していると... -
別の人になるという誤解
人が、何か別の人になる、という発想を人は持っているようである。そのため、「私にできるか」という考えが生まれるのだろう。 人が、この種の話に介在する余地はないのである。そもそも最初から在るものを発見するかどうか、というニュアンスの方がまだ近い。真我探求という概念自体が最初に間違っている。例えば、何時代であろうがその背後には今と同じ空間が在ったように、誰であろうが、いつであろうが、何であろうが、その背後にそれは在る。探求されるものは、常にマインドの領域内のものである。真我などの... -
我を滅す
何もする必要がないとか、ただ在るだけでいいとか、これらの意味を理解するのが難しい理由を考える。そして簡単に書く。我々は、瞬時に分離した個人意識をいま超越できると主張するが、簡単には受け入れがたい。そのような話はありうるだろうが、「自分にではない」と感じている。この感覚を破壊したい。 個人意識は、対象化し、私と非私を想像することで、苦痛を味わっている。多くの人はこの精妙な苦痛を感じないから暮らしていられる。分離のない融合意識が定着した者は、そこからもし外れるならば、それはすべ... -
禁欲は欲望、瞑想は無欲
個人の視点の回避 学ぶ人々が把握しなければならない一つの点は、このアンターカラナは意識そのものにおける意識的な努力を通して構築されるのであって、単に善良になろう、善意を表現しよう、無私無欲という特質と高い熱誠を表そうと試みることによって構築されるのではないということである。多くの秘教徒は、道を辿るということは、低位性質を克服し、正しい生活と思考、愛と知的な理解という観点から生命を表現しようと意識的に努力することと考えているようである。それはそうであるが、それ以上のものである...