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水の瞑想 -浄化と統合の運び手-
水と生命の循環 水は人体の六割を占め、人間と細胞(生命と生命たち)の生命活動を支えている。人類はいまだ個我の時代であるが、部分はあくまで全体の一部であり、構成要素でしかないという全体像の知見に至りつつある。水が血液を浄化し、粘度を調整し、老廃物を除去することで、スムーズな血流と健康な循環を維持するように、個と個が全体の健康のための純粋なエネルギーの媒体、流入と流出の知恵ある経路として在るべく意義に気づきつつあり、よって多くの探求者が自身の浄化の必要性に反応しつつある。 水は... -
瞑想は神の超越
雑念を消そうとか、初心者は偽物に焦点を合わせる傾向にある。闇と太陽つまり光子の物理関係に見られるように、本物だけが、偽物を追い散らすことができるという自然界の力関係を忘れているのである。力あるものが、より力なきものを淘汰するというのが自然界の秩序や序列における法則である。生態系では、より適応したものが生き残り、環境に適応できないものは消えゆく宿命にあるが、これは単なる弱肉強食ではなく、進化の法則として働くものである。 思考は自然界では弱者であり、影幻であり、偽物である。ゆえ... -
瞑想に報酬を求めると失敗する理由
瞑想の報酬とは何か 瞑想の実践がもたらす意識の変容は、個人的な報酬の獲得とは全く意味が異なる。多くの瞑想実践者は、幸福や平安、世俗的ないしは霊的成功といった個の利益を求めて瞑想を行うが、これは人間の認知バイアスに根ざした誤謬である。 心理学が言う「脱自己中心化(decentering)」の概念は、自己を個別の主体としてではなく、より広い認識の文脈の中で捉えることを意味するが、瞑想の本質も、より高い段階における自己の脱中心化にある。しかし、個人の報酬という枠組みで瞑想を捉えることは、認知... -
瞑想できる環境の希少性
魂を認識し、錯覚を払い、一体化と融合の境地へと至るまで、自己探求者の世界は暗く、苦しく、辛いものである。ゆえに、そのような暗夜にあって、今日も瞑想はままならず、心は重く、進むべき道も霞む。瞑想などやめてしまおうか。私に到達できるはずもない。そんな嘆きが、夜の静寂にこだましている。しかし、近視眼に陥ってはならない。 誰も一朝一夕に稀なる意識に入れるわけではない。そこへ至るには、時を要する。忍耐が試され、自己感情の放棄を含めた無数の諦めをも受け容れねばならない。日々、一歩一歩、... -
精神世界と自己探求の本質
序論 現代において、「精神世界」や「自己探求」という言葉は広く使われている。しかし、これらの概念はしばしば誤解され、商業的な成功や個人的幸福と結びつけられることが多い。その結果、本来の精神的成長の道筋が見えにくくなっている。本論では、「精神世界」や「自己探求」の本質を明確にし、それらが歪められる過程を分析する。さらに、意識の進化に必要な識別力を育む方法について論じる。 第1章:精神世界と自己探求の正しい理解 1. 精神世界とは何か? 精神世界とは、個人の意識を超えた広範な意識領域... -
思考と思考の合間なるもの
この数日、朗読の動画をいくつかあげてもらった。興味深いことに、「思考と思考の間」についてマハラジもマハルシも語っている箇所があった。クリシュナムルティも著書で同じようなことを語っている。 https://www.youtube.com/watch?v=yjOXRfBz6Po&ab_channel=%E7%9C%9F%E5%A4%A9 マハラジ:思考と思考の間を見なさい。 マハルシ:純粋な「私」は、二つの想念の合間に体験される。 クリシュナムルティ:思考と思考の間にそれは在る。 これを理解することで、"合間なるもの"と融合することができる。しかし、"...