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何に癒やされたいのか
辛く厳しい生活のなか、誰もが束の間の癒やしを求めている。生きてゆくために働き、働くがゆえに疲弊し、おのれを保ち続けるために癒やされに行き、その癒やしのために骨を折ったり大枚をはたいたりする。癒やしの趣向は変化しても、人の一生はこの繰り返しである。疲労と癒やし。しかしながら、最後には癒やせない病いに屈して床に伏し、癒やし手がもはや不在になったことを孤独に受け止め、死の時、"迎え"こそが待ち望む最大の癒やしになる。 疲労しないなら、癒やされなくても済むだろう。寂しくも空虚でもなく... -
真のアイデンティティー
瞑想は集中なのか。広く知られている集中の概念は誤った解釈であり翻訳である。集中には、集中しようとしている者か、集中している当の者が存在している。いわゆる集中は、理想の想念へと到達しようとする抵抗である。真我がすでに私であることを知らない者のみが為しうるAからBであり、それは無為にはほど遠い方向性の誤認である。真我とは私である。真我は集中によって達成されず、集中しようという錯覚した想念の背後の実在である。睡眠の安らぎは、睡眠に集中した状態でありながら、そこには集中しようとする... -
病気の治療と医学の復権
病気は、望まれるように、つまり計画通りに機能していないエネルギーであると言うならば、あなたは誤解するであろうか。流入するエネルギーがフォースと関係づけられることで、健康、強い適切な形態、活発な活動を生み出す。しかし、流入する同じエネルギーが同じフォースと関係づけられることで、摩擦点が生まれ、病んだ部分、苦痛、苦悩を生じさせ、ときには死を引き起こすことさえある。エネルギーとフォースが本質的に聖なる性質であることは同じであるが、確立される関係が問題を生じさせるのである。この文... -
金
金メダルを掲げて満面の笑みを浮かべる者。金をごっそり買い集めておのが安心や安泰にほくそ笑む者。金を稼ぐために生き、生きることすなわち肉体を養うことになっている者。金で欲求を満足させ、煩悩の命に従うことが生きがいになっている者。あらゆる人間が何かしら金を求めている。そして死ぬとき、栄華を極めたどのような傑物であれ、力なく弱々しい眼差しで、すべてがもろく儚かったこと、人生が夢でしかなかったという虚無の悟りにすら驚く力もなく、目をつむり、光を失い事切れる。 この世の金は、内在の金... -
何の仕事をするのか
この世の一時の強さ、権勢、財力、上昇気流を見誤り、個人的な私が強い、偉いと驕り高ぶるとき、人は善を見失い悪に接近する。そのあり余る力を個人のために使おうとする。為政者や法を司る者など、力に関わる者にはよくあることだが、力を個人の目的に仕えさせようと骨を折るようになり、害悪を撒き散らし、将来の禍々しい悲劇を自ら作り上げる。打ちのめしてきた者は打ちのめされる。懲らしめてきた者は懲らしめられる。害人は常に外人である。害は外の人に由来している。しかし内人は無い人である。持たぬ者、... -
瞑想中のメッセージ
「魂との接触」とは、具体的にどのような意味なのですか。魂という具体的な何か高位の存在に、瞑想中にはっきり意識で遭遇するということですか。 私が魂である。すべてが魂である。一箇の原子にすら魂がある。人間の魂がこれら、つまり全体にして一箇の魂(超魂とかオーバーソウルとか呼ばれるもの)へと吸収されるとき、その吸収する存在をマインドが認識し、私はそれである(I AM THAT)と言うのである。 私がお尋ねしたいのは、高位のメッセージを受け取ることがあるのかということです。先日、私は瞑想してい...