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神性の意志と破壊の様相について
引き続き、アストラル界の勉強を行う。 第二イニシエーションを受けようとするとき、彼は、アストラル界をありのままに「見る」ことを可能にするという特質をもった刺激を受ける。この啓示により、人類の生存にとって最も不穏な要素であるものを「神聖にする」つまり「完全に調和させる」ことが人間にとって根本的に必要であることが認識される。……それぞれの人間がやがて、アストラル界に関して自らの明確な決断を下し、それによる支配から自らを解放しなければならず、その現象に関与しないという方針に(いくつ... -

光なる我
物質は、我々が見ている世界に顕現している現象的な結果であり、その材料である質料自体は、物質や形態ではなくエーテルである。物質のにも七つの等級があり、個体・液体・気体という下から三つを除けば、他の四つの亜界における物質は、我々の目に見える物質ではなく、目に見えないエーテルである。我々の諸体(肉体・アストラル体・メンタル体)は、このようなエーテル質料によって組み立てられている。よって、諸体の浄化と我々が言うとき、それは諸体の質料の浄化を意味していることを忘れるべきではない。 我... -

あらゆる形の困難に対する応用
「感謝」というタイトルでメールが来ていたが、逆にこちらが感謝すべき内容だった。返信無用とのことだったが、皆にとって有益であろう箇所を、一部抜粋させていただきたい。 内心驚いたことは「魂の視線を向けると破壊される」と記事にありましたが、その場でやってみると本当に即座に己がうちにあった負の情緒が破壊されたことです。その後、あらゆるアストラルに対しても応用可能であることを経験しました。 日々の瞑想の積み重ねでここまで来られたことを、我が事以上に嬉しく思うものである。ここに書いてあ... -

マインドの超越――魂の波動とその意義
安易な書物であれば、瞑想や真我探求を、「私は誰か」のように、自我でも頑張ってそれをやり続ければマインドは超越されると説くが、それは言葉足らずである。このような本に従う場合、「自我で頑張る」という、真我と逆のものを強化するという抵抗や葛藤へと導くだけであり、調和とは無縁の瞑想になる。これは、試してみた誰もが直面する事実である。結果、「私にはできない」という結論だけが自我をつんざき、「失敗」や「自身の無能」と解釈される。この種の本は、到達した者が書いたのではなく、到達していな... -

唯一の健康法
自我意識では、肉体などの媒体を自分と思っているため、その外的な個人がどのような人物であるか、どのようなレベルであるかによって、自分とは「このようなものだ」という制限を、無意識のうちに自身にかけている。この自分像に応じて、自分に可能なこと、不可能なことが予測され、霊的なことは自分像からすれば不可能なことに基本的には分類されるものである。自身でかけるブレーキである。このような乗り物・媒体は、進まない。はたして、自分像が真我なのだろうか。像すなわち想念が真我なのだろうか。もっと... -

経験の領域
幸福を達成する者は、次は常に、不幸を求め始めるものである。いかなる快楽もやがては刺激に欠けるようになる。そして無刺激は刺激へと向かう宿命である。行ったり来たり。一方が成り立つためには他方が必要であり、したがって相反する対を為すものは、常に交互に訪れねばならないものである。幸福と不幸、安心と恐怖、快楽と苦痛、達成と失敗、歓喜と悲哀――この種のいずれも、常に一方が他方を演出する役割を果たしている。例えばスポーツ選手を見てほしい。負けた悔しさが大きいほど、勝った喜びもひとしおであ...

