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聖なる無責任
誰もが、自分に何らかの責任があると思い込んでいる。もし、我々に何かの責任があるというのなら、我々は永遠に自由にはなれないだろう。永久に責任を所有し、その責任に縛られることだろう。責任とは、自身が特定の個人であるという思い込みが存在するときにだけ、一時的に存在する錯覚である。例えば悪事を働いた結果として刑期を務める責任があると人は言う。あるいは、昨日酒を飲みすぎたから今日は二日酔いに苦しむという責任は妥当だと人は言う。病気になったら治るまでは病気に耐えなくてはならないはずだ... -
プロジェクトX
自分という感覚は、時間の意識にしか存在しない。過去の積み重ねとしての現在が自分である。ここで我々は問う。過去がなかったならばどうかと。過去が事実ではなかったならばどうかと。過去というものが、ただの想念ないしは想像力の産物でしかなかったならばどうかと。――しかし、実際そうである。過去や記憶というものは維持されている想念でしかない。そんなものは放棄してしまえ。 過去がないとき、現在しかない。それは、永遠に現在である。我々の新しい意識は過去の産物ではなくなるだろう。現在すなわち存在... -
悪癖の置き換え――例としての湯治
「長年瞑想しているが、私には明らかに進歩がなく、依然として霧の中を彷徨っているやに感じられる。これは私の運命の限界なのか、あるいはそのような運命の限界が各々に存在するのか、もし存在するのであれば、私がこれ以上同じように瞑想をしていても何も変わらないままではないか」といった趣旨の疑問をある人からぶつけられた。私ならば、このようないかなる想念とも関わらないため妨害を受けることがないのだが、この方はまだ魂と接触しておらず、融合が先の段階であるため、一々、マインドが作り上げる自我... -
愛のマスター
人間の成長は他者に対する態度と、彼らに対する影響によって決まることが分かる。このようにしてグループ意識への回帰が引き起こされ、カルマを生み出したり相殺したりする。 アリス・ベイリー「魂の光」p.385 人間は通常、他者に対してどのような態度であるべきかを重視する。それも重要ではあるが、他者とは何なのか。それは、彼や彼女の肉体であり、そのパーソナリティーである。私は、形態様相を無視するように訴えかけたい。グループ意識すなわち非分離の意識の秘訣は、非リアリティーの無視にある。私は、誰... -
死にゆく猫
私は運転しないから基本的に車では助手席に座っている。昨日、高速を下りたあたりで猫が轢かれていた。私は見ていないが、運転していた者が動揺していた。「まだ生きてるよ。誰が助けるの」と言っていた。後ろからクラクションが鳴らされたため、動揺していた者もそこを過ぎ去らねばならなかった。 私はこの世界を現実だと見なしていない。人々における全ての問題の根底には、この世界が自身にとって唯一の世界であり現実であるという態度がある。私は個人を放棄したため、同時に世界も放棄された。それは重要な意... -
恐怖と光のテクニック
恐怖はイリュージョンである。この言葉は暗記しておくか、忘れっぽい人は腕あたりにタトゥーを入れておくといいだろう。そのくらい覚えておくべきものである。瞑想中の恐怖について質問があった。我々の学びは霊的なものであり、それは物質から霊へと意識を向かわせる進歩に関する秘教である。これとは逆の秘教が存在し、真の黒魔術と、その道を辿る弟子やイニシエートや覚者のような者たちが存在するのも事実である。天使と悪魔といった概念でその違いが表現される場合もあるだろう。書籍などから彼らについての...