山の病院

ある山岳に、あまり知られていない小さな病院が存在する。誰であれそこへ入院することができる。待たされないし、どれだけ入院していようと無料である。各々の患者に専任の医師や看護師や技術者がつく。彼らは全員、われわれの知るどの人よりも良い人たちである。確かな腕を持ち、ほんのわずかであれ医療ミスという狂いはない。完璧な治療を24時間われわれに提供してくれる。しばらく治療していると疲れるから、疲れたらいつでも自由にしていい。患者同士で遊ぶのもいいし、外出も自由、山を下りればすぐに賑やかな街があるし、また門限もない。しかし、患者の自由時間は、彼やその周囲の波動をたえず摂取しているため、また不調和や不健康が感じられはじめる。それらの症状は、気のよい山の病院へ戻ればすぐに治してもらえる。そのうち、病院にいる方がいいと感じるようになるだろう。なんで外出したり、自由時間を持つ必要があるのか、考えてみれば無意味だと思うようになるだろう。しかし医師は自由時間を与える。長時間の治療にまだ患者は耐えられないことを知っているからである。それでも徐々に、この病院での心地よい長時間治療が可能になる。患者は願うだろう。ずっと治療してもらいたいと。ずっとこの治療に集中していたいと。なぜなら、この病院の外には、治療中に没入しうる愛や美や至福はどこにもないからである。患者は、好きで治療に集中し、いつでも治療していたい、二度と病院の外の波動を自身に浴びせたくないと感じるようになる。ここの医師が教え与えてくれる波動や意識が失われるくらいなら、死んだほうがマシだと思うようになるだろう。退院すなわち地獄、そのような罰だけはどうか与えないでくださいと星々に祈りさえするだろう。しかし病院は決して追い出さない。本人が自ら退院したり外出しないかぎり、いつでも治療し、愛を投与してくれる。患者は治療のうちにあるかぎり愛である。患者はいずれ死ぬと思っていたかもしれないが、愛が死なないことを了解する。そして、愛の圧倒的な奔流のうちにあって、そもそも病気ではなかったことを理解する。こうして患者は愛として、この慈悲の病院にて見習いの医師として働くための知識や技術を自動的に習得し、訪れるすべての患者を愛で癒やしたいと願うようになる。なぜなら、それはこの偉大なる病院の院長先生の願いであり、いまや院長先生の願いがすなわち自身の願いだからである。

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