日常と波動

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自我に効果的なこと

自我の自由意志で出来ること。しようと思えば出来る霊的に効果的なこと。これらは色々あるが、本当に意味が分かった上で行わなければ、長続きせず、また地味なため味気なく、ゆっくりとした成長に業を煮やし、正しい行いをやめてしまうだろう。

すべて波動の問題だとシンプルに捉えたほうがいいかもしれない。高い波動を達成し、それを維持できるか、これだけである。逆に言えば、低い波動へ引きずり下ろす事をしないことである。波動が高くなり、それを維持できるようになるなら、調和した意識に入れるようになる。瞑想の時だけ波動を高めていても、日常ですぐに落ちるならば残念である。

アンターカラナの前半を構築し始めると、魂のエネルギーを使えるようになる。それで多くの人が額や、眉の上に輪っかをかけたような、リズミカルな波動を感じているではないだろうか。このエネルギーと接触しているにもかかわらず、このエネルギーと自身のフォースを調和させようと絶え間なくしないということは、まだ自我で生きられるということである。もっと波動的に成長すると、低い波動は苦しくて耐えられなくなる。それは調和していないからである。だからエネルギーとフォースが調和しており、唯一のエネルギーである法則意識に準拠するとき、我々の進歩を阻む自我は、我々に手の出しようがないのである。

無批判

誰に対しても批判しないことで波動を落とさずにすむ。ニュースを読んでも、人の悪い噂を聞いても、あるいは面と向かって中傷されても、感情的な想念で波動を落とさないよう、できれば最初は目を瞑り、意識を眉間に固定し、そこに魂の波動を集中させられるならそこから魂の意識に入り、まだ自我意識が強い場合は、本当にすべてが本質において私自身なのだということを眉間で(理論でもいいから)思い出し、批判するくらいなら徹底して愛そうとすべきである。傷ついた自分を守ろうではなく、攻撃してきた者を最高の愛で包もう、抱きしめよう、愛の祈りを届けようと、高い波動が為すような行為を真似るべきである。愛に生きる者は愛に守られる。どんな迫害も、それは自分が蒔いた種を刈り取っているだけだと知り、その者のせいではないことを知り、この出来事を可能にした法則を信じ、いつも神が我々を許しているように相手を許し、拳で生きるのではなく、ハートで生きることを誓う必要がある。毎日誰も批判しないなら、急成長するだろう。

愛の祈り

自分の悩みや苦しみに溺れそうになるとき、そういう自作自演で波動を落とすより、全世界の、あるいは身近な誰か、憎んでいる誰か、特定の者でも全体でもいいから、自分ではなく他人に意識を向けて、愛の念を送り、愛が自身という伝導体を通って流れてくれることに感謝しつつ、今日出会ったすべての人、今苦しんでいるすべての人、自業自得と世間では思われている悪人に対してさえ、絶対に偏見を持たず、愛して、愛して、愛し尽くすことで波動が勝手に高まるだろう。そのため、確実に、意識は美を捉えるはずである。喜びや、平安や、言葉にできない美しさをハートに感じるはずである。すると、それは正しい波動にいま準拠している証である。そこから、調和が常に愛であることを会得することができる。愛は内ではなく外である。自己愛ではなく、一なる愛である。これが解放意識を我々に教えるのである。嘘だと思うなら試してみてください。少しも意識が変化しないなら、誰かを絶対に許さないと決めているとか、自身のどこかに邪まなところがあることを知り、それを批判せず、調査し、愛と解放の意識を妨げている自身の要因に気づくことができる。見つけたなら、それがあなたの執着しているものであり、それゆえ、愛の流れに滞りが起きていただけである。手放してもらいたい。そして愛を知ったならば、それを概念ではなく、波動として捉えて、その波動にたえず身をよせてください。そうすることで、あなたが放射する愛の中心になってください。

読書や創作活動

波動を下げる娯楽や趣味に興ずるぐらいなら、聖人の書いた本を読んだり、心に響く聖者の言葉に思いを巡らしたり、落ち着いた静かな雰囲気で、聖なる話に身も心も傾け続けるべきである。それを書いた者が高ければ高いほど、その高い波動の一部が流入してくる。気づかずとも、自然に波動が高められる。波動を落とす食事をするぐらいなら、高き思いをこれらの読書で食していただきたい。あるいは、神性に関して詩を書いたり、作曲したり、創造的な活動におのれの生命力を託し、生の美しさ素晴らしさを心から賛美すべきである。高潔な思いに絶えずおのれを浸し、自分ではなく、すべての兄弟姉妹の素晴らしさ美しさ清らかさを願い、誰もが全く有害性を持たない世界を心象化し、それがユートピアでも現実逃避でもないことを知り、必ず皆が良くなることを感情ではなく愛で祈り続けるべきである。そのうち、愛が趣味になるだろう。

結び

列挙していく場合、延々と続いてしまうため、三つにとどめる。こうやって書かれたものを読むと、いかに愛が解放の鍵であるか、自分のことではなくすべての兄弟姉妹のことにおのれを捧げることが大切かを知るものである。瞑想では、外ではなく内を教えられる。内に蓄えられた良きものは、日常で外へと表現されねばならないのである。だから、瞑想の果実である愛は、内ではなく外へ、とめどなく流出することだろう。この意識を知覚したが最後、自分のことより、もう他人への愛のとりこになり、私はどうでもいい、すべての人を愛したいと思うようになるだろう。なぜなら、そのときあなたは自我ではなく魂だからである。それは分離を知らない魂である。魂の本能が愛である。だから、愛に生きることが魂への最短距離である。

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