それは眉間の疼きが最近弱くなっている気がするのです。私が高校生くらいまで、下手に眉間を意識するとひどいときなど、眉間から上唇のへこんだ部分(いわゆる人中といわれる部分)くらいまで疼きが生じ、その程度も顔が歪んでしまうくらいで、拳で額や鼻やその周辺をたたき、疼きを散らさなければとても我慢できないほどでした。それゆえ最近まで眉間を意識することを意図的に避けてきましたが、Author様から魂の波動とのアドバイスを聞き、今では積極的に眉間を意識しております。しかしながら眉間のエネルギーは強くなるどころか、少しずつ弱くなっているように感じます。瞑想が終了すれば、すぐに疼きは治まっていきます。今まででは考えられません。私はうまく瞑想できているのでしょうか?あるいは魂から愛想をつかされているのでしょうか?魂からの指導めいたものは何ら感じられません。もしよろしければ、アドバイスを頂けますでしょうか?
単に、魂の現在の要求を満たしているからです。これまで、何十年か分かりませんが、魂からの波長の矯正の要求を避けてきたため、それが強かっただけで、要求を満たせば魂は一時的に存在感を控えめにし、また自我として生きられるようにします。あなたは一日2時間定期的に瞑想しているため、今の魂の基準では波動の要求が満たされており、それゆえ眉間の疼きが薄れているのです。瞑想をやめてみてください。すぐに波動が強まり瞑想させるでしょう。瞑想しなければ生活もできないでしょう。やがて魂の要求は苛烈になり、終盤になると、人間として、自我意識として生きることを不可能にさせる厳しい課題となります。今そのような波動が来てみてください。全部捨てる準備もできておらず、元の自我の生活に戻してくれと泣いて懇願することになるでしょう。こうした強烈な波動にはまだ諸体が耐えられないため、ゆっくり魂が教えているのです。今の目標は、24時間、魂とのエネルギー的な交流が途切れないようにすることです。呼吸に関する瞑想をやめ、絶えず、眉間を意識することです。それは日中もずっとです。これは私達が最初に教えられることの一つであり、すぐに習得すべきものです。
私の知るかぎり、人中に魂の波動は降りません。両サイド、下頬まではしばしば降り、そこから上にひっぱられるため、頬の内側が小刻みに痙攣めいた激しい動きをすることはあります。それを他人が見るなら恐ろしくなってしまうでしょう。誰にも見られていないならば、ただ痙攣するがままにしておけばいいです。結局のところ、最後は低位マインドを統御しなければなりませんが、その時期が来た時にそれは自然に行われるものであり、霊的野心や個人の動機から、想念や雑念を抑えようとしても自我なので無意味です。アストラル体を統御し終えたとき、自然に低位メンタル体の統御が問題となり、思考あるかぎり苦痛となり、したがって超越されるのです。それは魂が個人を完全に掴むときにいきなり訪れるでしょう。
このようにして、ゆっくり魂は個人に教えます。最初は魂の意図を解釈することは難しいでしょう。魂は、当たり前ですが、人格がありません。愛想を尽かすのは人間だけです。魂は分離しておらず、良い悪いなど感じることもできません。完全に安らいでおり、あなたのような一時的な個人に全く興味を持っていません。あなたには、あなたという人生が驚くほど興味深い可能性がありますが、魂はあなたに無関心です。あなただけが、自分がいると思わせる想念と戯れています。
魂と融合してみてください。あなたは、かつての自我と関係ないと感じるようになるでしょう。そんなものは想念の中にしかないことが理解され、あらゆる個人の反応に無関心になるでしょう。どれぐらい無反応かによって、瞑想の進歩をはかることができるかもしれません。普通の人は、エレベーターのようなものです。上がったり下がったりを毎日ひたすら繰り返し、良い方ばかり望み、悪い方は避けようと必死に逃避しています。融合した生活を送るなら、上がりも下がりもしませんよ。まったく中央から動きません。何が起きてもその秘められた中心に留まっています。この中心で全てを知るのですが、この安全で平和な傍観点を知る者の何と少なきことか。みな、上がったり下がったりドラマに忙しいのです。瞑想の上達を気にしたり、霊的不安に駆られているならば、何に執着しているのかを知らねばなりません。何を恐れているのか。何の欲望から瞑想しているのか。そこからは目を逸して成長だけしようと望んでも、不可能です。まったく揺るがせない内的中心を知り、そこにたえず居住することが初期段階の目標です。汝自身を知れという課題に満点回答できることが瞑想者の条件であり、全ては小宇宙の完全理解から始まるのです。だから、課題は常に目の前にあるわけです。頭の中にも、本や教師の言葉の中にもありません。それを見ることができるならば、即時にあの偉大なる意識に、融合の度合いに比例して自在に出入り可能となるでしょう。
サイト停止について
質問にもありましたが、管理できないときはサイトを放置できないためメンテナンス中にしています。しばらくネットが見れない環境にあったためそのようにしました。このような文章には結局のところ何の価値もなく、いつなくなってもいいものです。今は書けるときに書いていますが、何らかの理由で書けなくなったらこのサイトも終わります。我々には健康であるかぎり瞑想があるため、何の問題もないと思っています。