船路

すべてはエネルギーであり、またフォースである。意識的であれ無意識的であれ、我々が接触しているフォース、我々を取り巻き我々を動かしているフォース、これらの中で人間は霊的なフォースをやがて見出す。魂のフォースである。普通の人間が最初に驚くのは、彼という形態ないしは個体に注ぎ込む魂のフォースであり、彼はこの独特なエネルギーが、それまで知っていたどのフォースよりも良いものであり、自身が従属し融合すべきものであることを理解するようになる。こうして、”彼は取り除かれる”。彼はそれまで三重のパーソナリティーであり、肉体的、アストラル的、メンタル的なフォースによる自動的かつ盲目的な受け皿にしかすぎなかったが、彼はついに、融合を通して魂として、魂のエネルギーを用いることで、それまで自身であり自身に影響を与えてきた三重のフォースないしは三界のフォースをコントロールできる側に立つようになる。無知は知恵に席を譲る。

人類という我々の共同体において、この初歩的な重要事項を認識できる能力を発達させている同胞はごく稀であり、それゆえ分離という錯覚の上に世界の常識は成り立っている。われわれ個人が、霊的な魂と融合するならば、自身が何者であったかを理解するようになるだろう。真我を理解するようになるだろう。そして闘争は終わる。我が家からの逃走は終わる。それを我々は、あらゆるフォースを魂のエネルギーに従属させ融合することを通して成し、唯一なる生命への調和に一切の答えを知るようになる。個人は、コントロール可能なフォースの集合体として理解されるようになる。頭の理解や知識からではなく、日々の中の実践的なテクニックとして、目に見えるものの背後のものを扱うようになる。結果ではなく原因を扱うようになる。この認識が、それまで一箇の人間でしかなかった者を、あるいは彼の人生を、激変させ、救い出し、地上に天国を発見させる。

理解するまでこれは神秘にとどまる。瞑想もしくは瞑想生活を通して融合が始まらない限り、神秘が事実に変わることは難しい。しかし、瞑想という手段は我々に与えられている。これは重要な事実である。自我意識しか分からない暗黒の状態で、誰もがこの段階を通り抜ける。実りのない瞑想の日々を生き抜く。この無知の暗闇は耐え難い苦悩を人生にもたらす。なぜなら、彼や彼女は、それまで自身を満足させたもの、周囲の個人たちを満足させているもの、これらのどのようなものにも、もはや関心を抱くことはできないからであり、にもかかわらず、霊的な話が自身の現実にはなっておらず、したがって人間の方向性にも霊的な方向性にも拠り所がない完全な孤独感を強いられるからである。そして次のように感じる。

すべてのものには、美しさと等しくむなしさをも感じた。笑いさざめく人々に混じっているとき、あるいは、ときには夜、ときには食事のさなか、死の思いにとらわれた。

彼は、死ぬか見出すかのいずれかしかないと感じるようになる。普通の生き方が今やできなくなっていることを理解する。彼は自分というものが嬉しいものではなくなる。むしろ忌むべきもの、自我というものに対して嫌悪や否定を覚えるようになり、美しかったものはいずれもひからびて醜悪になる。しかし、誰も彼のことを理解する者は現れない。気持ちを共有できる仲間は誰ひとりとして彼女の前には現れない。そして口を閉ざすことを覚える。何も知らない人々の中で生活を送りつつ、知らない人間を卒業するための試練を歩み始める。寡黙に、忍耐強く、落ち着きと冷静さをもって、遅々たる歩みに不平を言うことなく、着実に前進する力を養う。こうして、彼や彼女は、波動を高める。

諸体の波動が一定まで高められたとき、このような話や、書物で語られていたことが、突如として自身の中で現実になる。様々な錯覚から自由になり、自身が救われたことを認識するだろう。それは強烈なものであるかもしれない。しかし、重要なことは、全体でひとつであるということである。彼はそれまで個人的な目的に生きたかもしれないが、そのような錯覚はなくなり、人類であれ動物であれ植物であれ鉱物であれ、全体にしてひとつ、全体でひとつの目的へと進んでいることを理解するようになる。彼が個人であるならば、特定の航路において邪魔な者は海に投げ落とすことも可能かもしれないが、神の航路においては、誰一人として欠くことは不可能である。なにものであれ共に歩まぬことは不可能である。だれもが真に兄弟姉妹であることを認識するだろう。外的なパーソナリティーに錯覚を受けて、あの者は嫌い、この者は許せない、などの内紛や無知は不可能になるだろう。目に見える外的側面ではなく、魂として、唯一なる意識として、唯一なる生命として、誰をも何をも認識するようになるだろう。

「自らの表現媒体、七つのセンターから成るネットワーク、副次的なセンター、これらに対する魂の支配力は強くなり、エネルギーが流れ入り、おとなしく従うパーソナリティーに対して魂の光線タイプを完全に表現するよう強い、その結果、パーソナリティーの光線を支配する魂のエネルギーに従属させる。この最初の偉大な統合はエネルギーとフォースの融合である。今述べたことは非常に重要であり、弟子が習得しなければならない最初の課題を一つ言い表している。……そうする際、どの瞬間であれ、自らの緊張点を見出す能力を獲得することが必要であり、この能力が成長することで、同一化しなければならない単位としてのグループを次々と意識的に認識するようになる」

アリス・ベイリー 「光線とイニシエーション上 」p.84
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