2023年9月– date –
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アストラル体の統御と魂のエネルギー
アストラル体を統御するために魂のエネルギーが必要であるとの記述と、魂のエネルギーを呼び起こすためにアストラル体の統御が必要であるという記述において、いささか自家撞着に陥ってはいないかという質問について。つまり、アストラル体の統御と魂のエネルギーとの接触の、どっちが先かという問いについて、まずは以下の表を用いて考えていきたい。 意識レベル 扱う対象 1平均的な人間三界における現象世界のフォース。見習いの弟子つまり浄化の道にある熱誠家 2弟子魂のエネルギー... -
そのまま
Ⅰ 我々が真我を求めるとき、我々は真我を否定している。我々が「こうあらねばならない」と言うとき、真我を否定している。我々が自身の行為に駆り立てられるとき、真我の輝きを押し込めている。我々における大いなる無知の一つは、そのままで良いことを知らないことである。そのままであるとき、我々の生は嬉しいものになる。生きる価値のあるものになる。生きていることが喜ばしいことに気づく。我々を、そのままから動かし、そのままを否定しようとする衝動は、すべて惑わしである。そのままは、記憶から自由で... -
理想と現実
我々の多くは理想を扱っている。我々の考える理想をAとするならば、そのAは我々の想念であり、想念が維持された結果としての想念形態でしかない。これは実在とは関係がなく、実在を阻害する障害である。一方で、現実とは我々の目の前にある障害である。この場合、我々は理想に無関心である。我々は目の前の鞘、自身を覆い包む形態がその時点における目の前の現実物であると見なし、その現実形態を扱う。つまり破壊する。これを我々は、魂と共同で、アジュナ・センターを通して焦点化し、方向づけ、延々と現在を扱... -
王国
弱い自我が強くなりうるだろうか。自我は、一つの世界しか知らない。われわれが見ている世界である。その中に存在すると考えており、その中で彼や彼女といった個別の人間として世俗的もしくは霊的な理想や幸福を達成するのが目標だと考え生きている。実際は、生かされている。動かされている。この外なる世界で、彼は自分が独立した存在であると感じ、自身という意志決定機関の長ないしは神としておのれを任じ、自由意志を喜び、自由行為をしているが、彼はただ世界というホログラムの一部でしかない。風景を見て... -
質問と記憶
最近、努力が減っていき、行為の感覚も弱まったように感じています。……(真我覚醒した聖者の状態に関する書物からの引用や、ラマナ・マハルシが努力が必要であると言っているなどの話が続く)……よって、自我に努力が全くいらなくなるということはないはずです。 これらはすべて、自我の側からの解釈です。つまり、単に努力している自分という想念や感覚があり、それらと誤ってご自身を同一化しておられるだけです。つまり同一化さえなければ、あなたの問いは生まれませんでした。 簡単に説明したいと思います。元... -
大丈夫
少しでも苦しいと感じているなら、それは霊的な道からそれる。少しでも誰かに責められていると感じるなら、その苦しみは自身の何らかの間違いを見つけるチャンスである。苦しみは、決して「お前を変えよ」とは言はない。学びは、浄化とか自己改善とか言うけれど、それをやるのは自我ではない。自我で自身の改革をしようとする努力と正しい性格構築の時期はあるだろうが、それは、自我つまり結果の世界では改善は不可能だと知るためのものであり、内なる自己だけが間違った自我を治療しうることを理解するためのも...