2023年2月– date –
-
I AM
【合一の啓示】 前回書いた瞑想が進展するとき、意識よりも存在、第二様相よりも第一様相、ヴェールを剥がれた魂に秘められた生命そのもの、つまり真我の兆し、存在自体に人間は感応できるようになるだろう。それは、顕現している一切のものの真我であり、根底に流れる命であり、人間が知りうるかぎり最高の純粋である。純粋とは、完全にサットヴァであるという意味である。この純粋を、魂と融合しているパーソナリティーがわが内にて知るのである。このとき、もはや崇高な意識状態よりも、その意識の背後の実体の... -
実践的瞑想法
私意識があり、行為者の感覚があり、努力しか出来ない段階の瞑想について。ここでは、努力が出来なくなる段階に至るまで、どうすべきかを自我感覚に向けて解説する。アストラル体を静めたならば、メンタル体の統御に取り組むことが可能になる。これは重要な点であるが自明であり、過去に多く書いてきているためここでは詳細を省く。以下は、瞑想で魂から習った瞑想であり、マインドの統御において使用したものである。 【アジュナ・センター】 眉間より少し上の頭部の内側、脳下垂体と両目、および頭部の前面部分... -
魂の波動と接触の違い
魂の波動を感じることと、魂との接触は違うのかという質問について。それは異なるものである。彼自身が来られることは、全く違う体験である。自我は、瞑想しているときか、静かにしているとき、いきなり彼が来られたことを認識する。それは接触という言葉が適切である。或る存在が内的に来られる。この偉大な内在者と接触するとき、必ずしもそうだとは言わないが、自我はおそらく最初、感覚としては不快だろう。これは意外かもしれないが、それほど、個人環境の波動とは異なるのである。それは高い波動であるため... -
何もしない瞑想
瞑想は何もしない。これを自我で解釈すると、ただ空想することになる。それは何かしているのである。空想をしている。自我は、想念と同一化していたことに、ただ気づくことができるだけである。気づくと、同一化は失われ、対象の想念はなくなる。つまり養分不足で死滅する。空想を続けるなら、その思考には生命力が吹き込まれ、十分に強く、詳細で、持続的なエネルギーが加えられた場合は、いわば現実化する。これを平均的な自我は意図的にできないが、無意識に同じ思考傾向を繰り返しているため、同じような現実... -
あらゆる霊的な失敗
教師から非分離の精神を教わり、われわれは感銘を受けるかもしれない。新たな理想と目標に熱誠をいだき、愛あふれる自分でいられるよう、日常生活で苦闘しはじめるかもしれない。これはやがて無意味と知られるだろう。自分として努力している。よって分離した自分を強めるだけである。自分が静まったときにだけ愛は妨げられず開示される。愛と自我は両立しない。活発なマインドが分離の発端であり、愛の殺戮者である。想念なき状態だけが愛に統合し、非分離の平安をもたらす。マインドは絶えず変異し、次々に思考... -
童心
寝る前、童心に帰る人は多い。気持ちよくなり、幸福感が包み込み、一時的に世界を遮断する睡魔の力に受容的になる。心配事や考え事にひどく縛られている場合、肉体は疲れていても、世の中への執着が勝り、幸福ではなく苦痛、弛緩ではなく緊張が持続し、不眠症に悩まされることになる。それは世界に悩まされているのである。硬直や緊張を和らげる物質を摂取しないかぎり、活発なマインドを抑え、睡眠へと導入することはできなくなる。 精神科、あるいは心療内科で薬をもらうことはできるだろう。しかし、処方する医...