実践的瞑想法

私意識があり、行為者の感覚があり、努力しか出来ない段階の瞑想について。ここでは、努力が出来なくなる段階に至るまで、どうすべきかを自我感覚に向けて解説する。アストラル体を静めたならば、メンタル体の統御に取り組むことが可能になる。これは重要な点であるが自明であり、過去に多く書いてきているためここでは詳細を省く。以下は、瞑想で魂から習った瞑想であり、マインドの統御において使用したものである。

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アジュナ・センター

眉間より少し上の頭部の内側、脳下垂体と両目、および頭部の前面部分全体に関係する方向づけを行うチャクラを使用する。魂と意識の座であるこのエネルギー・センターに意識を戻す作業を行う。

自我感覚に支配されている状態は、必然的に想念が抑えられていない。このとき、眉間の座に意識を戻し、「戻った」と言う。次の瞬間にはすでに思考しているだろう。思考に連れ去られている状態になるだけ早く気づく必要がある。そして再び眉間の霊的中心に意識を戻し、「戻った」と確認する。この瞬間は思考が遮断され、一瞬だが想念のない状態になる。この遮断、メンタル・エレメンタルへの養分の供給を断つことが、この訓練自体の本質的な目的である。

思考原理、つまりマインドは絶えず変異しようとする。想念が起きるや否や、ただちに間断なく意識に戻し、眉間で意識そのものをただ意識し、「戻った」と言う。これを延々と繰り返していると、活発なマインドの生命力が弱まっていく。言い換えると、魂が支配権を握りはじめる。最初は、一時間に数回しか意識に戻れないかもしれない。そのくらい、想念に拉致された状態が当たり前になっている可能性がある。意識に戻ることに慣れるにつれ、戻る感覚は短くなる。やがて、ほとんど想念に邪魔されることなく、眉間で意識そのものに留まっていられるようになる。

ヘッド・センター

魂が個人を掴み、パーソナリティーが魂に整列し始めると、徐々に努力の感覚からは外れていく。眉間に意識を戻し「戻った」と確認する作業がむしろ苦痛になる。そのような努力はできなくなる。この時点での特徴は、ひじょうに心地が良いというものである。マインドと脳が、魂に安らぎつつあるからである。これは、もはやアジュナ・センターに意識は置かれておらず、額と松果腺の間の領域に集中されている状態である。

ここではまだ想念が湧き出てくるだろう。このセンターで想念つまりマインドの変異を統御する方法は、魂自体に集中するというものである。この集中つまり高位のエネルギーによる高位のエネルギーへの一点集中は、そのエネルギーの特質上、集中自体が霊的なエクスタシー(合致する言葉がない)を伴うものである。したがって、この霊的集中を知ったならば、もはや自我の想念の野放し状態は苦痛になるのである。夢を見ることすら苦痛になるため、夢を見るぐらいなら瞑想しようとなる。この霊的集中のみが唯一の存在状態になるのがこの時期の特徴である。

自我の故意の集中は脳細胞を損傷させるだけだが、この集中は霊の第一様相つまり意志様相が引き起こすものである。これは、今やそれなりに魂と融合しているパーソナリティーが意識したうえで行わねばならない。それは摩擦的な苦痛を伴う人間の努力ではない。それは真我つまり意志である。

アルタ・メイジャー・センター

パーソナリティーと魂との共同の意志で魂へと集中が行われるが、これは魂より上位の霊つまりモナドの意志エネルギーに取って代わられなければならない。この意志が、すべてをヘッド・センターに集中させるのである。このとき、高位のアンターカラナの物理的な反映であるアルタ・メイジャー・センターが、最高位のヘッド・センターと、最低位の脊柱基底センターをつなぐ役割を果たす。これは必然的にクンダリーニの火に関する話を包含している。

このセンターは、頭蓋底と脊柱が合流する延髄あたりの領域に存在し、パーソナリティーが魂に整列し、アジュナ・センターとヘッド・センターが相互に機能し合っている状態に入ると振動を開始し、頸動脈や鎖骨あたりに強烈な波動を感じさせるようになる。これが頭部の第三のチャクラであり、最終的なヘッド・センターへの意志適用の際に使用されることになる。この段階で、個人は何をすべきかを魂として知っており、またマインドが統御された言語描写の不可能な状態に向かうため、書くべきはここまでである。最後に、これら一連の流れに関するジュワル・クール覚者の要約を引用する。

後に、霊様相、つまり第一様相、父の様相からのエネルギーが利用可能になり、ヘッド・センターを通してアジュナ・センターに流れ下り、パーソナリティーのエネルギーと魂のエネルギーを結合する。次に、意志の行使によってそれは、頸動脈腺を条件づけるアルタ・メイジャー・センターを介して脊柱を下って伝えられる。それが脊柱を下って通過するとき、それはセンターの二つの様相を活性化する。それが基底センターに達したとき、それは質料そのものに隠れたエネルギーと結びつく。したがって、三つの聖なるエネルギーすべてが合一し、三つの聖なる様相が人間において顕現することになる。結びついたこの三つのエネルギーはそのとき、脊柱の中央の経路を急上昇し、センターの第三の、つまり最高の受容的な様相が活気づけられる。このようにして、すべてのセンターが完全な表現へともたらされ、すべての限定が破壊され、肉体のすべての部分が活性化され、物質的な完成が生み出される。加えて、啓発された意識が、そして生命様相もまた完全に活動するようになる。

アリス・ベイリー「秘教治療 上 」p.258
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