2023年9月– date –
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高位の行為
なぜ人は「する」のか。強迫観念と言ってもよいだろう。「する」必要がないことを人は知らない。知らないから抵抗する。流れに逆らう。なぜなら、「自分」がしているという感覚、しなければならないことがあるという信念を生きているからである。例えば瞑想を「する」。瞑想は行為や行為者から自由な状態の彼方にあるが、われわれは自分として瞑想する。「する」は、何であれ真我の否定である。そのような無知の根底にある諸悪の根源は「私」という一人称感覚である。分離意識である。この状態からわれわれは雑念... -
トンネル
地元でしくじり、追われるはめになった。くそいまいましい。積み上げてきたもの、全部捨てて逃げるよりほかになくなった。死ぬ気はない。隠れる場所を探したい。隠れつつ、"隠れた場所"や"隠れること"が仕事になり、少年院時代の集団寮のようなものでよいから棲家付きで、飯を食って生きていけるなどという、都合の良い場所はないものか。外国人向けの人材派遣で一山当てた男の顔を思い出した。この男はおれに借りがある。連絡してみると、いくらでもそんな仕事はあるという。手っ取り早いものを一つ紹介してくれ... -
知
知るとは、特定の解釈に対する所有行為という無知である。この所有が行われると、知ったものは知識となる。そして彼は知識に仕え、知識に動かされるようになる。これを我々は盲目と呼ぶ。人間が知るためには、彼の理解できる位置まで、元は純粋であったアイディアが歪められねばならない。彼という経験体を通過し、私的な解釈へと堕落させられねばならない。アイディアとは、ブラヴァツキーの言葉を借りるならば、「それ自身では存在できないが、形のない物質に姿と形態を与え、顕現の原因になる無形の存在である... -
愛と努力
努力とは利己主義である。誰にとっての都合によって、努力が為されているのだろうか。この努力をおこなう行為者から離れなければ、我々は美しいものを知ることができない。存在しない偽りの自己のために為される行為は美の殺戮者である。行為という錯覚の犠牲者である精神たちに、気づかれることなく、内から慈悲と憐れみの眼差しが注がれている。この目は美しい。この目は純粋である。そしてこのお方が真の私である。彼女の力がやってきますように。歩みを進める探求者たち、おのれを所有せざるを得ない十字架の... -
ペットの高級料理
見知らぬ犬がうろついている。このままでは車に轢かれてしまうだろう。飼い主からはぐれて迷子になったのだろうか。それとも捨てられたのだろうか。近づいてゆき、なでると喜び安心したが、すぐに挙動不審なばかり落ち着きがなくなる。やはり飼い主を探しているのだろうか。ここで、犬が足を怪我していることが分かった。軽傷だが血が出ている。この町に動物病院はない。仕方がないから家に連れてゆき手当をした。それから水を飲ませ、腹を満たしてやるため、自分の晩飯にと思って作っていたハンバーグを食べさせ... -
医術
生活習慣病の結果、心臓や脳の病気になったり、癌を患うことになったのだと医者は言います。つまり、健康になりたかったら生活習慣を改めなさいと言うのです。なんとも乱暴で半端な教えではないでしょうか。なぜなら、私たちが悪い生活習慣へと強いられねばならない原因について、彼らは何も知らないからです。原因は知らず、結果を変えなさいと教えているのです。こうして人々は努力や改善という抵抗に苦しみます。先生と呼ばれている人たちは、おそらく無理だと知りつつ生活習慣を正せと薬を処方しながら指導し...