2023年11月– date –
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結婚願望
三十をいくらか過ぎた女性が二人、結婚相手がおらず、誰か紹介してほしいと仰る。気持ちは分かるが、なぜ結婚しなければならないのだろうか。つまり、何が怖いのか。何が不安なのか。何が満たされておらず、何によって満たすことでそれが解消されると思っているのか。何と比較し、誰と比べて、自身が惨めだと感じているのか。また、特定の相手が見つかったとして、その相手が空虚を埋めてくれたとして、その相手に今度はすがりつき、その相手が自身のために存在するよう、束縛や執着が始まり、裏切りを恐れるよう... -
アウトサイダー
ある男が、霊的な教師に厳しく言われて、怯えていた。大きなカルマを背負い、真理に程遠く、資格に近づいてすらいないと叱られたのである。「怖いです」と男ははっきり言った。大の男が、目の前で震えていた。 私が瞑想したところ、真理は、我々を怖がらせない。それはありえない。賞罰の概念は人間にのみ存在している。カルマは、外的な個人、外的な世界における秩序の法則であり、単に見た目上の原因と結果を駆け巡るものである。それは家の外の話であり、真理は家自体である。人間の世界が原始時代であれ原子力... -
家なき子
起きること、出来事に腹を立てる人がいる。ある者の家に行った際、飼われている室内犬がソファにおしっこをして怒られていた。老犬で耳も聞こえていない。いくら語気を強めても分からないのである。そこにおしっこがしてあるなら、さしあたり拭き取ってきれいにするだけのように思われる。そして必要に応じて策を講じるだけである。 出来事と行為の流れに、なぜ感情が挟まれるのだろうか。些細なことで乱されるのはなぜだろうか。この者は女性であり、職業はヨガや精神世界の講師であり、様々な身体のポーズを操る... -
太陽
古い映画、古い映像が流れていた。古い時代の話であり、何もかもが今とは違っていた。しかし、太陽はあった。この映画は太陽を素通りしている。映画が追っているのは物語であって、背後の太陽ではない。太陽の存在は当たり前であり、太陽の恩恵や、太陽の存在について誰も考えることはなかった。現代人もまた太陽に生かされながら、太陽は風景の一部でしかない。どのような時代、文化、生物、風潮、展開が地上で織りなされていようが、背後に太陽は在る。遠い昔にあった太陽と、いま昇っている太陽は同じである。... -
裏見の滝
滝に打たれて身心を浄めんと努めている者がいる。彼は、荒々しい滝の奥に空洞があることを知らないのである。空洞にこそ、沈黙と平和が行き渡っている。空道の先に唯一なる愛と調和がある。滝に打たれる自分に夢中なとき、人は背後に気づかない。滝行が垢離なのではなく、背後の空無が垢を取る。背後の沈黙が俗界の無知を叡智で満たす。背後の静寂が孤立した統一を教える。内なる沈黙の主、彼こそが真の自分であり、自我なる錯覚を導いた神仏であり、知恵と浄化の源である。 真の滝行とは、波動の行である。高位我... -
無題
自我意識は安全ではなく戦争中であり危険だが、本質的には安全なのである。自我を構成する想念や情緒と同一化して、感覚や肉体や精神が自分と思っている場合、危険なだけである。それとても、本当の危険ではない。なぜなら、それは思い込みだからである。思考という誘惑を無関心に無視できるならば、背後に導かれ、実在である。実在が真の我々であり、したがって世界と呼ばれるものとは関係なく、平和なままである。 例えば想念がある。あっていい。それをただ見る、ただ気づくことで、同一化は免れ、物質に固有の...
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