2024年1月– date –
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瞑想と雑念
何年瞑想しても、雑念に振り回されて集中できないという問題について。本質をつくために逆に質問する。なぜ集中しないといけないのか。なぜ雑念に振り回されてはいけないと思うのか。思っているのが個人だと分かるか。問題とみなしているのが自我であり、それが個人的な感想だということが分かるか。他人や書物に感化されて、霊的な何かを求めており、それを入手するために瞑想しようとしており、霊的な獲得のために雑念をどうにかしようとしている。これが初心者の自我瞑想である。これは瞑想ではない。何年かけ... -
記憶の住人
例えば記憶喪失。彼は私を覚えておらず、お前は誰だと言う。本当に覚えてないのか問いただす私に対し、おおらかだった彼女が冷たいものの言い方で私を払いのける。彼や彼女は今や別人である。彼が子供時分からの付き合いであれ、彼女がかけがえのない最愛の伴侶であれ、他人だと言われるのである。ここに、突如としてかつての関係性に終わりが訪れる。 私が知っていた者はもういない。いるのに、いない。これは死だろうか。肉体を維持した死だろうか。死んだのは記憶である。つまり人格は記憶の産物であった。この... -
魂意識
「魂は、性質上、グループ意識であり、個人的な野心や個人的な関心はなく、パーソナリティーの目的には一切興味がない。イニシエートとは魂である。イニシエーションは、パーソナリティー内の霊的人間が、魂の能力、魂の関係、魂の目的と共に、自らが魂であることに気づく過程である。人間がわずかであれこれを認識した瞬間、彼が意識するのはグループである」とイニシエートは語っている。ここで述べられているイニシエートもしくはイニシエーションは、最初のいくつかのイニシエーションに関するものであり、そ...