2024年2月– date –
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生きる意義
前提 意識は、同一化している「形態の性質」に依存している。 意識の変容に興味を持つ者は、必然的に「形態の性質」に着眼する者である。 人間が関与している形態は、肉体、アストラル体、メンタル体である。これらの形態の材料である質料は、進化ではなく退化のフォースに従っている。 人間の魂は、これら三重の形態と同一化し、それらの形態性質つまり形態が表現するフォースに幻惑され、盲目的に付き従っている。これが無知と自我意識の原因である。 瞑想の効用は、形態の波動を高めることにある。低位性質と高... -
私は何をすべきなのか
この問いかけは次のことを示唆している。 何かをすることができるという錯覚。これは「自我としての私」と同一化しているときに生じるものである。つまり、行為が私に帰属するという傲慢である。彼は生命やエネルギーなしに指一本すら動かせないことを忘れている。 「自我としての私」という錯覚。これはアストラル体とメンタル体が統御されておらず、魂に整列していないときに生じるものである。感覚や情緒や想念と同一化することで、彼は一時的に真我のうえに騒音をかき鳴らし、騒音が自分だと思っている意識状... -
瞑想の危険について
二人の金持ち 大金持ちになった者が二人いる。 一人は、そのお金をすべて自分のために使った。彼は自分のところへ流れてきたお金を、自分の努力の結果であり、自分が所有すべきお金であるとみなした。そこで彼はお金を使うことで自分の望みを次から次に叶えようとした。最初は満足感が得られた。やがて小さな欲望では満たされなくなり、より大きな欲望へと駆られるようになる。しかし、満たしても満たしても、結局は満たされず、新しい別の欲望が生まれるだけだった。彼は自らの富と才覚をすべて自らの目的に費や... -
同一化からの自由
同一化の意味 例えば、「私の欲望」と人は表現する。私は悟りたいとか、私は進歩したいとか、どうしても存在する「自身の欲望」や「自身の考え」を表現する。純粋な意識が、情緒や想念といった低位性質と自身を結びつけて解釈すること、それが同一化である。この同一化を防ぐために、同一化しようとしている「私とは誰なのか」という事の本質を、一部の教師たちは考えるように勧めてきた。その結果、私とは誰なのか、それを頭で考えるという過ちを自我たちは犯してきた。 次のように考えてもらいたい。我々は、形... -
相反する対をなすもの
幸福という無知 人間が自己と非自己を識別できないとき、目標は個人的な幸福と解釈され、それが単にアストラル的なものであり、低位性質に屈しているだけだということを理解することは、普通の人には難しい。しかし、瞑想者に難しいものであってはならない。 幸福は情緒に起因するものであり、パーソナリティーの反応である。……それは何らかの低位性質を満足させる状態にパーソナリティーがあるときに起こるものである。肉体が快適であり、環境や周囲の人々に満足し、もしくはメンタル的な機会と接触が満足できる... -
愛はすべてを癒す
序文 「愛との遭遇」で昨日書いた女性に、この意識を忘れないうちにメモしてほしいとお願いしていた。ふたたび錯覚の方の現実に騙されそうになったとき、実体験したことを思い出せるように、なるだけ詳細に書いて保持していてほしかったのである。すると、書いたメモを私に送ってくれたから、彼女の許可をもらい、一部に注釈を入れ、また私の箇所を「Aさん」に変えて、あとはそのまま掲載することにする。したがって以下はタイトルも含めて彼女の文章である。 向かうところ敵なしの愛 仕事終わりの、いつもの帰り...