2024年3月– date –
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その方については何も語ることのできないお方
結局のところ、魂が啓示するものは霊つまり生命である。我々が存在していると見なす全てのものに内在し、その存在を(一つの側面ないしは観点から)可能ならしめているものは、唯一にして普遍的な生命である。我々は高次の意識に興味を抱いているかもしれないが、どのような意識であれ、その背後にあるのは生命である。意識は第二様相であり、それは形態つまり第三様相との相互作用に基づくものであり、したがって原初ではない。意識は原因ではなく結果であり、つまり第一様相と第三様相の結果であり、しかし全て... -
瞑想における主体と客体
私は現在瞑想をしていて、何か怒りや悲しみ、その他微妙な情緒的反応がある場合、それらを知覚・認識し、それぞれ「怒り」「悲しみ」「自己憐憫」「欲求」「妄想」など心の中でラベル付けし、これらをアストラル・フォースであると認識したうえでに巻き込まれない(同一化しない)ようにしております。アストラル・フォースの識別とは、私がやっている、情緒的な反応が生じた場合、それに気づき、その内容を分析しこれをアストラル・フォースであると認識する(同一化しないため)という手法でいいのでしょうか? ... -
エネルギーとフォースの衝突
二つの衝突 病気が次の二つの方法で生じることに気づくであろう。 エネルギーとフォースの衝突によって フォース同士の衝突によって アリス・ベイリー「秘教治療 下」 p.250 人類の一般的な病気は2の範疇に入るが、第一イニシエーション(もしくはそれ以上)を受けている弟子の場合は1が加わることになる。より高い段階であるほど、その性質は1に属するものとなる。ここでは病気に関して話すのではなく、これが瞑想や瞑想生活においても同じであることを示したい。なお、引用冒頭の「病気」という単語を、「苦痛」... -
瞑想の実質に至る形式
瞑想についてですが、「苦悩の終焉」の質問者や多くの読者もそうだと思いますが、「瞑想」という言葉が指す形式が分からないのだと思います。つまり、私もそうですが、瞑想とは、何らかのメソッドや、目的に達するための方法というイメージもしくは先入観があり、そこから来る形式があるのではないかとの思いがあるように思えます。ようするに瞑想の実質、同一化をしないこと、静かにしていること、高位の波動に親しむこと、これらに至る方法ないし形式があるのではないか、との先入観があるように思います。Autho... -
意識と世界
ラマナ・マハルシは、世界は投影であると言います。それは具体的にどういう意味なのでしょうか。 例えば、私がこの文章を書いているとき、そこに意識を保っていなければ、勝手にあなたの見ている世界は私には存在しなくなります。つまり、マインドを通して見るときのみ、世界は存在するということになります。 世界は本当に存在していないのでしょうか。私には存在するため、かなり疑問に思われます。 存在の定義の問題であり、実在であるかと言われればそうではなく、存在するかと言われれば意識が何と同一化しど...
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