2024年8月– date –
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何に癒やされたいのか
辛く厳しい生活のなか、誰もが束の間の癒やしを求めている。生きてゆくために働き、働くがゆえに疲弊し、おのれを保ち続けるために癒やされに行き、その癒やしのために骨を折ったり大枚をはたいたりする。癒やしの趣向は変化しても、人の一生はこの繰り返しである。疲労と癒やし。しかしながら、最後には癒やせない病いに屈して床に伏し、癒やし手がもはや不在になったことを孤独に受け止め、死の時、"迎え"こそが待ち望む最大の癒やしになる。 疲労しないなら、癒やされなくても済むだろう。寂しくも空虚でもなく... -
真のアイデンティティー
瞑想は集中なのか。広く知られている集中の概念は誤った解釈であり翻訳である。集中には、集中しようとしている者か、集中している当の者が存在している。いわゆる集中は、理想の想念へと到達しようとする抵抗である。真我がすでに私であることを知らない者のみが為しうるAからBであり、それは無為にはほど遠い方向性の誤認である。真我とは私である。真我は集中によって達成されず、集中しようという錯覚した想念の背後の実在である。睡眠の安らぎは、睡眠に集中した状態でありながら、そこには集中しようとする... -
病気の治療と医学の復権
病気は、望まれるように、つまり計画通りに機能していないエネルギーであると言うならば、あなたは誤解するであろうか。流入するエネルギーがフォースと関係づけられることで、健康、強い適切な形態、活発な活動を生み出す。しかし、流入する同じエネルギーが同じフォースと関係づけられることで、摩擦点が生まれ、病んだ部分、苦痛、苦悩を生じさせ、ときには死を引き起こすことさえある。エネルギーとフォースが本質的に聖なる性質であることは同じであるが、確立される関係が問題を生じさせるのである。この文... -
金
金メダルを掲げて満面の笑みを浮かべる者。金をごっそり買い集めておのが安心や安泰にほくそ笑む者。金を稼ぐために生き、生きることすなわち肉体を養うことになっている者。金で欲求を満足させ、煩悩の命に従うことが生きがいになっている者。あらゆる人間が何かしら金を求めている。そして死ぬとき、栄華を極めたどのような傑物であれ、力なく弱々しい眼差しで、すべてがもろく儚かったこと、人生が夢でしかなかったという虚無の悟りにすら驚く力もなく、目をつむり、光を失い事切れる。 この世の金は、内在の金...
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