2024年12月– date –
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メルヘン
年末は自殺者が増えると聞いていましたが、今年はその一人に自分がなりそうです。年を越すこと、明けることが異様に恐ろしく感じられ、可能なら死にたい、死によって不安や苦しみから逃れたいと考えます。長年貢献してきた会社からの裏切り、つまりは左遷、大都市の大手を相手に辣腕を揮ってきたつもりの私が、いまや田舎のスーパー担当、これによる収入の激減、経済的な問題と日々のイライラがつのって仲睦まじい夫婦がいがみ合うようになって熟年離婚、取り残された田舎での全き孤独と持病の悪化。築いてきたも... -
アストラリズム
第二イニシエーションと第三イニシエーションの間に、弟子はアストラリズムと情緒主義に対して絶えず無反応であることを実証しなければならない。 アリス・ベイリー「秘教治療 下」 p.43 仕事をしながら、あるいは家庭を持ちながら、つまり人との関わりのある生活をしながら、情緒的に無反応でいることは可能なのでしょうか。もし私が無反応な人間になるならば、周囲は混乱するに違いありません。家内は私より年上なので、私より先に死ぬかもしれません。そのとき私が無反応であれば、子どもたちはひどい父親だと... -
舞台ゆえ
霊を転生へともたらすものは何らかの種類の形態への欲望である。無欲になったとき、三界はもはやヨギを引き止めることはできない。私たちは、欲望の炉の中で、物と経験と形態生命への切望の炉の中で、自分自身の鎖を鍛造しているのである。 満足感が培われ、満足したとき、徐々にこの鎖は落ち、新たに鎖が作られることもなくなる。私たちが、イリュージョンの世界から自分たちを解放しゆくにつれ、ヴィジョンは明瞭になり、存在の法則が明らかになり……生命がなぜどうして存在するのかが分かるようになる。物質界の... -
瞑想は死の超越
私は亡くなった人や動物に、死後、再び会えるのかどうかを聞きたいのです。信頼できそうな書物では、我々の死後、必ず元気な姿で再会できるものと書かれていますが、ならば今すぐ私は死にたいという想いに葛藤しているのです。 このブログは瞑想に焦点を当てているため、瞑想の観点から答えるならば、私たちが瞑想を習得できなかった場合、肉体の死後、エーテル体から自由になった後に、アストラル界に長く留まる羽目になるだろう。瞑想者は、肉体を纏っている状態で、アストラル界のみならず、メンタル界すら超越... -
人でなし
外的な物質界でのつながりが切れることは、最も過酷ではなく最も一時的なものである。死そのものが大いなるイリュージョンの一部であり、私たちが周囲をヴェールで覆ったために存在するにすぎない。……死はすべての人に訪れるが、弟子たちの場合、通常見られる苦悩やグラマーはないはずである。過去を振り返らないようにと言いたい。その方向にグラマーと苦悩がある。大多数の人々はそちらを見ており、そうすることが最も抵抗の少ない線である。しかし、あなた方はそうすべきではない。 魂の高みへと達しなさい。そ... -
死と劇化
結局のところ、我が兄弟よ、無私無欲に生きようと努めたとき、私たちはフォースを正しく分配するようになり、それが調和的な関係につながる。見習いの弟子にとってこれは、物質界において無私の活動が課されることを意味する。受け入れられた弟子にとっては、すべての利己的で自己中心的な情緒から自由であることを意味する。こうした情緒のうち、自己憐憫と自己劇化はその顕著な例である。イニシエートにとっては、利己的な考えが全くなく、エゴの思考において劇化がないメンタル的な態度を意味する。 アリス・ベ...
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