2025年– date –
-
切迫感というグラマー
「マインドを超えてゆくこと」や「マインドの彼方」、これらを聖者方は強調して伝えますが、私には瞑想でどうすればよいのか、どう在ればよいのか、これについて何年も分からないままでいます。 それは分からなくてよい話である。多くの人が逆に考えている。事実は、超えた後、超えたことが理解されるのである。超える前、それについては何も分からないし、分からなくていい。超越を期待してはならない。 私は切実に真我を求めています。残りの人生は短く、切迫感をもって瞑想しています。「求めよ、さらば与えら... -
聖者の病気
聖者の病気についてどう思われますか。調べてみると、多くの聖者が最終的には癌などで亡くなっているようです。もしくは死因が隠されています。こういう現実を直視するとき、彼らが偽物だったのではないかという疑念がわきます。本物の聖者であれば、病気になることもないでしょうし、なったとしても治療できると思います。例えばキリストは何でも簡単に癒やしました。そこまでではないとしても、日本では松下松蔵なども簡単に人の病気を治しています。 睡眠中ですら世界は知覚されていない。肉体ではなく、コーザ... -
なぜ「私」に集中するのか
なぜ聖者たちは「私」に集中するよう説くのでしょうか。また、それが「明け渡し」と同じであると説くのでしょうか。 まず根本的な事実を述べる。それは、すべてはエネルギーであるというものである。そして、我々が転生してくるこの三界は、低位の質料で構成されている。この質料は活動するエネルギーであるが、純粋なエネルギーではない。上に従っているものではなく、下に従っているエネルギーである。霊ではなく物質に従うエネルギーである。後者のエネルギーは、原初の純粋さから分離して、別のものに条件づけ...
12