瞑想– category –
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超然
すべては自作自演である。精神は欲望と恐怖を利用して、自我や自我の世界を延々と紡ぎ出す。精神の産物である人間は、欲望か恐怖をそのまま世界に投影し、自分勝手な物語にそのまま没頭し続けている。そして、わたしは弟子だとか、惨めだとか、道を歩いているとか、各々が自作の話を次から次に、欲望と恐怖を燃料に炙り出している。 そこに、賢さが到来して、それらが自分ではないという叡智が訪れる。全てと関係がないという祝福された感覚が訪れる。そのある種の苦しみを調べてみると、精神の背後に静かなる者が... -
霊的欲望の犠牲者
マインドの超越 思考やマインドを制御しようとするあらゆる試みは、情緒や欲求、すなわちアストラル体の性質が沈静化されていなければ、本質的に不可能である。 アストラル的なフォースの識別がないとき、我々はその衝動の運搬者でしかなく、「霊的」と名づけられた欲望の構造に容易に絡め取られる犠牲者でしかない。 一般的な欲望と霊的な欲望に実質的な違いはない。だが、後者は「光の言葉」という仮面をかぶるため、識別はしばしば困難である。 欲求や逃避に反応しない、沈黙に服従したアストラル体が形成され... -
魂の波動
高位メンタル・レベルから発している魂の推進するエネルギーに敏感にならなければならない。ある進化段階が達成されたとき、このようなエネルギーは、三体からなる人間のフォースを統御するよう努めるようになる。 アリス・ベイリー 「新しい時代の教育」 p.106 進化段階は気にする必要がない。しかし、波動やエーテル体の知識がないならば、われわれはそれを病気と思いかねない。いま現在も、誰にも理解されることのない、この頭部内のいわくいいがたい圧力に対し、一人で悩み苦しんでいる兄弟方がいるはずである... -
672夜
<苦痛に関して書いた以前の文章からの抜粋> ……その絶望感が幾分強かったため、とつぜん内なる魂と一体化した。それは、絶望するおのれを背後から目撃するという、衝撃的な瞬間であった。そのとき思ったのは次のようなことである。「すべて自作自演だった」。私は魂として苦痛を感じていなかった。ただ絶望している自分を見ていた。自分で問題を作り上げ、それに自分で絶望しているだけだった。これは白けた。このようにして自我は存続しているのかと思った。それからというもの、自我の反応に関心を失い、私...